QUERY: 時間

perihelion ケプラーの第二法則から、公転速度が最も早くなる日である。 日本時間で午前3時半ということはその時およそ正午であるのは西経102.5度付近である。 近日点通過日の頃は南回帰線上でほぼ南中高度が90度近いはずなので、南回帰線と
Inverse M理論が主張するように、この世界が11次元のベクトルで張られており、 通常は空間3次元時間1次元しか認識出来ていないのだとしたら、 そこに11×4の行列で表される写像があるはずだ。
写像管理局:Bureau of Mapping 但し、そんな時間はない。
本棚  三木清「哲学入門」  渡邊二郎「ハイデガー『存在と時間』入門」  多木浩二「ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』精読」
OUT THERE 下記の構成。 Wingsやソロの時代の曲も合わせて40曲近くを3時間もの間 熱唱し続ける71歳には純粋に憧れる。
長崎旅行2014② ●大野 バスに揺られること小一時間、大野のバス停に到着。 朝食後、歯を磨きながら読んでいたウェブサイトを信用して
長崎旅行2014② 気づかれないだろうなという想像が頭をよぎり、大人しく下りることにした。 夕陽の時間帯に来たいなと思える場所だった。
長崎旅行2014② 道の駅まで戻って夕陽が沈むのを眺める。 このとき17時を回ったところなので、1時間くらい眺めていたことになる。
長崎旅行2014② 18時32分のバスまで少し時間があったので休憩所に立ち寄る。 天井が高く、意外と響きが良かったのでまたオラショを歌う。
長崎旅行2014③ その後ホテルで荷物を引き取り、18:13大波止バス停発の空港行きの バスに飛び乗り、一時間で空港へ。
ソチ 人々の思い出に残っただろう。 実況解説もだまったあの十秒あまりの時間に、浅田真央の集大成が つまっているなと感じた。
勝沼 前日の晩に思い立ってから約12時間。 新宿から電車で2時間あまり、1500円くらいの位置にある
勝沼 新宿から電車で2時間あまり、1500円くらいの位置にある 勝沼ぶどう郷駅に来ていた。
勝沼 家を出る時間が少し遅くなったこともあり、既に日は高い。 やはり帽子を被ってくるべきだったかと後悔するが、
理系文系 観念が、比較的多くの場合成立する。 不確定要素を排除したモデルでは、時間とともにその精度を 単調に増加させることが可能なので、数学、物理学等の各分野で
電子書籍  スクロール形式では、行間やスクロール速度制限等で  時間の進み方の表現ができる。  例えば、森博嗣のスカイ・クロラシリーズでは、各行の文字数によって
電子書籍  広告どころか、書籍の内容すらリアルタイムに更新できる。  ある時間帯、季節にしか現れない文章というのもあってよい。 ・同時進行する物語の表現の幅。
落ちる 時間ができたらこれを見てみよう。
コミュニケーションの分類 電話が聴覚によるコミュニケーションのうち、 空間的には離れられるが時間的にはあまり離れられない ものであるのに対し、
コミュニケーションの分類 メールは視覚によるコミュニケーションのうち、 時間的にも空間的にも離れることが可能なものだ。
コミュニケーションの分類 空間的には離れられないのに時間的に遅延可能な コミュニケーションは、例えばかつて駅に設置されていた
コミュニケーションの分類 遅延可能な手段があるのに、相手を時間的に拘束する コミュニケーションを選択するのは、
コミュニケーションの分類 LINEのように、既読を知らせる仕組みを実装するのは、 時間的遅延を生じさせにくくするための、ある種のプレッシャ みたいなものだろう。
コミュニケーションの分類 今のところ、時間的・空間的に分離可能な触覚による コミュニケーションは一般的ではない。
花火 一秒あるかないか。 花開くまでの時間は、緊張と期待に溢れ、 必要以上に長く感じられるものだ。
小学生 あと、審議拒否→時間ないので質疑時間無くします→猛反対の流れ、 意味がわからないでしょう。
小学生 意味がわからないでしょう。 ひたすら審議をした上で、それでも時間がないならわかるけど、 国の一大事なんだから両者もっと真面目に議論してくれ。
タイガ 最近はjavaからabaqusを呼び出してパラメトリックスタディをする日々。 一系列回すのに4時間くらいかかるので、取り急ぎやりたい分の 半分くらいしか終わっていない。
過去未来 技術的な問題はまだまだ多いようだが、 お金と人が集まれば、時間で解決できそうな 問題が多かったように思う。
宗教 爆発的に発達し、それは空間的にだけでなく 時間的にも拡がった。 時系列で生じる事柄について次の段階を予測できることは
時間 時間とは、繰り返しの中に見出された順序のことである。
時間 それが繰り返されているものだと認識することから、 時間概念は発生しうる。
時間 時間概念なしでも、現在一日と呼ばれている時間間隔に合わせて 行動することは可能である。
時間 段階的ではあるが、いろいろなものが繰り返されていることを知り、 それを順序付けることができたことで、時間という概念を抽象することができた。 あらゆる繰り返しの中に見出した構造を時間と名付け、
時間 あらゆる繰り返しの中に見出した構造を時間と名付け、 その構造体自身を扱えるようになったのも、人間を特徴付ける
時間 ブルバキ的に言えば、空間が位相的構造をもつのに対し、 時間は順序的構造をもつ。 ここに決定的な違いがあるように思われる。
時間 ここに決定的な違いがあるように思われる。 時間軸上の移動ができたとして、果たしてそれは空間軸上の 移動と同じ意味をもつことなどあるだろうか。
時間 パブリックな時間が存在して、個々人がそこにアクセスしているという 古典的な時間概念は相対性理論とともに崩れ去った。
時間 古典的な時間概念は相対性理論とともに崩れ去った。 上記のような時間の発生過程を想像すると、
時間 上記のような時間の発生過程を想像すると、 相対性理論を持ち出すまでもなく、絶対的な時間など存在しない方が
時間 相対性理論を持ち出すまでもなく、絶対的な時間など存在しない方が 自然であり、コミュニケーションのために抽象された言語に近いものだと
時間 時間はとてもプライベートなものである。
社会 でもこれって、構図としては仕事で稼いだお金で親を老人ホームに入れ、 代わりに子育てに時間を割くのと同じなのでは。 それを各家族でやるか、国家レベルでやるかの違いが非難を生んでいる。
社会 時間は有限である。 その有限な時間を何のために使おうが個人の勝手である。
社会 その有限な時間を何のために使おうが個人の勝手である。 親も子も切り離し、趣味や仕事に邁進するのも、また一興なのかもしれない。
stool 長さ1820mmの1x6材から4枚の板を切り出して組み合わせる。 時間がなくてボンドと金物で接合したのみであるが、 天板側にビス頭が出ない納まりにはこだわる。
六方位 言語の発生よりも前に、左右の概念を作るのは難しいだろうか。 (ここで「前」という表現が使えるあたりに、時間が非対称な構造を もつという共通認識があることがわかる。しかし時間に言及するときには
六方位 もつという共通認識があることがわかる。しかし時間に言及するときには 進む方向を「後」、戻る方向を「前」と呼ぶ。何故だろう。)
空間では顔がある方を前、 時間では過去を前と呼ぶのが、 進む方向という定義からはずれてしまう。
空間と時間の前の共通点とは、 次にすべき判断の材料となる情報が存在する
移動 直接伺うことが誠意の表明になるという悪しき風習を断ち切るのに どれだけの時間がかかるかだ。
移動 Amazon Nowの仕組みは要はおつかいである。ネット通販は長らく、 ほとんど何でも注文できるが時間はかかるという世界だったものが、 日用品等は1時間あまりで届くということになってしまうと、
移動 日用品等は1時間あまりで届くということになってしまうと、 小売店には勝ち目がない。店頭販売にはどうしても接客が発生するし、
移動 また、交通状況もかなり正確に予測されるため、日本の鉄道並に自動車移動が 時間に正確になる。 最近でも痛ましい事故があったが、夜間走行車両こそ自動化の恩恵が得られる
EX_MACHINA 思ったことはいろいろあった気がするが、あまり言葉になっていないので 時間ができたら見直そう。
Do not go gentle into that good night ミラーの惑星がブラックホールに近いために起きる時間の遅れ云々の あたりから、急に相対性理論が現実味を帯びて感じられてくる。
Do not go gentle into that good night 声がストレートに心に刺さり、その事実だけで涙が出る。 時間って何だったのか。
Do not go gentle into that good night 最後に、アメリアの孤独を描きブラックアウトするところで最後の涙である。 お涙頂戴とはちょっと違うが、この映画が泣けるのは、時間の概念が 崩される感覚が不思議と実感されるあたりと、その果てしない距離感に
時間の単位 相対性理論では時間と空間の区別がなくなるイメージだったのだが、 そういえば依然として長さの単位と時間の単位には区別がある気がする。
時間の単位 そういえば依然として長さの単位と時間の単位には区別がある気がする。 もしそこに区別がないのであれば光速は[m/s]ではなく無次元量になる。
通信の数学的理論 1つだけ、シャノンが忠実度の評価関数の例として挙げた耳と脳の 構造に関連して着想できたのが、脳が音を時間領域ではなく 周波数領域で認識しているのかもしれない、ということだった。
キャリブレーション 変位と応力の情報からでは積分の過程の情報を得ることが難しいかもしれない。 しかし、変位の空間座標に対する微分、時間に対する微分も得られるのであれば 再現可能だろうか。
角速度 時間の遷移についてもこの法則はおおよそ当てはまる。 目先のことばかり考えていては変化についていくのに
帰納と演繹 理由付けは演繹による真の獲得である。 人間には、多くの場面で帰納的に真を獲得している時間がない。 大多数の人間は視覚がやっとで、専門家であれば聴覚や味覚等も
目先 たとえ50年先のことを見据えて行動していても、それを実行する権利を 剥奪されてしまうと挽回するのにも時間と費用がかかる。
部分 その量はおそらく都会の人間よりも多いと思われる。 全体は一度失われると再構成するのに長い時間がかかるのだ。 近代科学の徒である現代人は、おそらくそれに気付いていない。
様式美 成し遂げるというのはものすごく難しい。 時間の制約上、単純に試行回数が足りないのだ。
固有値解析への補遺 そりゃそうですよね、ということで、標準基底を採用する。 正規直交基底を生成する時間もほぼゼロな上に、誤差の蓄積による直交化のずれも ないので、一次固有値をスキップする現象にまだ遭遇していない。
ふへん 不変とは、時間的に一定であること、 普遍とは、空間的に一定であること、
サイバネティックス ニュートン的な可逆的時間とギブス的な不可逆的時間について。 人間も自動機械も、その多くは「印象の受容と、動作の遂行とで
サイバネティックス 入力、出力とも統計的な情報として扱われることから、非可逆的な 時間に属するものとしている。 第1章最後の言葉が印象的だ。
サイバネティックス 極一部になるだろう。 同時として認識できる程度の時間内でのコミュニケーションであれば、 より多くの情報が伝達できたと感じられるし、実際に伝達できる可能性も高い。
サイバネティックス 埋め込まれた回路による制限を受ける。 人工知能であれば、例えばある時点のメモリをスタックに積み、任意の時間後に 復元することでこの制限を回避できるだろう。
サイバネティックス時間について ニュートン的な可逆的時間とギブス的な不可逆的時間について。
chrome on android Google検索のアプリ内で直接ウェブサイト閲覧ができるようになったため、 アプリをスイッチする時間がなくなった分、速くなったと感じるのかもしれん。
充足的視覚空間 ことから、偽かもしれない。 あるいは、一つの網膜だけでも、上記のように時間的な位相が ずれた像を観測できれば、空間二次元+時間一次元の三次元空間を
充足的視覚空間 ずれた像を観測できれば、空間二次元+時間一次元の三次元空間を 得られるだろうか。
もったいない? 仕事が機械化されることを危惧する向きが多いが、自動運転と同じで 人間がやる方が様々な点で悪いという状況になるのは時間の問題だ。 しかもそれはそう遠くない未来に実現し得るし、一番のボトルネックは
心という難問 相貌論では、知覚が時間性、可能性と関連付けられることを「物語の内に 位置づけられる」と表現している。
心という難問 というテーゼを基本とし、空間、身体、意味を変数として有視点的把握を 捉えることで、自他の違いや時間的な認識の変化(錯視や幻覚を含む)を 説明しながら素朴実在論を守っている。
知覚統合の較正 6歳くらいまでの未成熟な身体は、比較的短時間でもそちらに合わせられて しまうだけの流動性を備えているということのようだ。
プログラミング教育2  ・意味付けあるいは理由付けを不可避的に行ってしまうことが   因果律という強い前提や時間の概念につながるのかもしれない。   現行のコンピュータのほとんどは、相関の概念はわかっても因果の概念はわからないだろう。
プログラミング教育2   現行のコンピュータのほとんどは、相関の概念はわかっても因果の概念はわからないだろう。  ・記憶の耐久性は、時間経過に対する精度維持の点でコンピュータの方が高いように思われる。   ただし、人間には忘却という仕組みが実装されており、判断不能に陥らないために
telexist 通信時間の都合上、センサの入力からセンサへの指示までに 人体の場合よりも時間がかかるのは確かだが、その遅延は
telexist 人体の場合よりも時間がかかるのは確かだが、その遅延は 当初は引っかかるものの、次第に脳で自動的に処理される
意味付けと理由付け 原因と結果という前後関係に限らず、共起する関係も含む点では、 因果律と同値というわけではない。時間という順序構造を 認識するだけのバッファが得られて初めて因果律と結びつく。
UK referendum 結果はあと数時間で判明するだろうが、 いずれにせよ、五分五分という状況まできている
情報の割り振り 入力された情報を判断に用いる際に、 空間的に用いるか、時間的に用いるかの違い として理解可能だろうか。
情報の割り振り 連続的に入力される情報を、順序構造として 統合することで、時間認識が得られる。 これを理由付けと呼び、それは意識の判断の
情報の割り振り あるいは逆に、意味付けによる判断は空間的に認識され、 理由付けによる判断は時間的に認識されるのだろうか。 そうであれば、あらゆる判断が意味付けのみによって
情報の割り振り そうであれば、あらゆる判断が意味付けのみによって 行えるようになった場合、時間概念は消え失せる。
東京大学制作展2016 いるのかと思ったら、どうやら違ったらしい。 時間軸は回転方向にあるのではなく、鉛筆の軸方向にあり、6つのセンサで 各面を読み取っているようだ。
生態学的知覚システム 知覚システムが情報を抽象する際には、空間も時間もないはずである。 ギブソンが隣接順序と継起順序と呼ぶものは、ブルバキ的に言えば位相構造と
計算機と脳 数学が、メイヤスーの言うところの祖先以前的な記述につながる のだとすれば、それは時間の要素が「論理」の側に集約されて いるからだろう(それとも、論理深度が時間を生んでいるのだろうか)。
計算機と脳 いるからだろう(それとも、論理深度が時間を生んでいるのだろうか)。 神経系を流れるパルスにはそういった複数の型があるのだろうか。
計算機と脳 よかった。訳者の言うように、確かに読みづらくはなってしまうのだが、 限られた時間の中で、ノイマンが少しでも発想を残そうとしてくれた ことが感じ取れて、とてもよい訳だと思える。
攻殻機動隊原画集 コマ送りで攻殻機動隊のDVDを見ながら見比べるなどという、 贅沢な時間の使い方をしてしまいかねないくらいに魅惑的。 ああ、主よ人の望みの喜びよ。
固有値解析への補遺2 爆発しろと言いたくなるくらい遅いのでコードを見直す。 (それでも数時間待ってれば終わるのだが)
固有値解析への補遺2 最悪でも15800回の符号判定だけで済むようになったのはでかい。 数時間と言っていたのが2分くらいで終わるようになった。
生命とは何か エルゴード性を仮定すれば、莫大な数というのは空間的ではなく 時間的でもよいのだろうか。 その観点から言えば、情報を秩序だて始めたのは一般的に生命と認識される
生命とは何か よりも遥か以前の段階であり、システムを構成する原子の数が少なかった 時代には時間的に送受信回数を稼ぐしかなかったのが、原子の数が増えることで 空間的にスケールすることが可能になり、生命らしさが爆発的に進行したという
機械人間オルタ 一週間しか展示されないようだが、時間をつくって 見に行かなければ。
カンデル神経科学第2章 受容器電位という入力シグナルは受動的、局所的であり、刺激の大きさと 持続時間に応じて振幅と持続時間が連続的に変化する。 これがある閾値を超えることで、能動的で離散的な活動電位が生じる。
シン・ゴジラ 核廃棄物ではなく、水と空気だけで生きられるという事実や、 凍結はさせたものの、それが再び動き出した時には時間の猶予は 僅かしかなく、熱核攻撃による殲滅という未来が待っているという
シン・ゴジラ 震災後は日本中がただただ落ち着きがなく、泣く暇もないままに1年、また1年と過ぎ、 もう5年半が経とうとしている。この5年半という時間を巻き戻し、2時間あまりで 急速に再生することで、もう一度落ち着いて泣く機会をもらったような感覚だ。
シン・ゴジラ 今のやり方をやめればそのうち消えてなくなるようなものではなく、 少ない時間的猶予の中で、一度立ち止まってでも議論をした方が よいのでは、ということだと受け取った。
シン・ゴジラ あるいは震災1ヶ月後に目の当たりにした釜石の風景から 感じ取ったあらゆる感情が短時間の間にこみ上げてくる。 この感情を受け止めるために、泣かざるを得ない。
もうすぐ絶滅するという紙の書物について 人間が意識を保つには絶えず変わらなければならない。 結果として個々の秩序の存続時間が短くなり、不安定さを増すことは、 どんな種類の問題を引き起こすだろうか。
もうすぐ絶滅するという紙の書物について 電子書籍は、通時的な情報伝達をある程度切り捨てることでそれを獲得した。 しかし、存続時間の短い秩序が、それでも存在したことを通時的に伝達することに 意味があるのだとすれば、不安定な現代だからこそ生じた、紙の書物の役目も
分類思考の世界 これは理由付けと意味付けの違いに対応し、あるいはメトニミーとメタファー、 時間と空間の違いと言うこともできるのかもしれない。 いずれのタイプの抽象過程にも、本質の仮定はつきまとうが、
ぼくらは都市を愛していた ここで言われる〈リアルな世界〉というのが、情報そのものである。 そこには時間も空間も含め、あらゆる概念が存在しない。 「情報が存在している」という言及すら不正確さを含んでしまうような
描像 状態が時間発展する、としており、ハイゼンベルク描像はその逆である。
描像 変化しないという発想の方が好きだ。 生命が秩序のことなのだとすれば、時間発展する情報を、 センサというかたちで秩序立てられたものが抽象することで
描像 つまり演算子に対応し、情報が状態に対応する。 ある観測の確率分布が、センサと情報のいずれの時間発展に 由来するか、という違いである。
描像 シュレーディンガー描像は、オブザーバブルは時間発展せず、 状態が時間発展する、としており、ハイゼンベルク描像はその逆である。
多項式時間 深層学習のような意味付けに属する過程には 多項式時間という概念がないと思われる。
多項式時間 残していたメモだが、「Logical induction」にも 多項式時間の話が出ていたので思い出した。
境界条件 一方で、何を良いものとするかについてのコンセンサスをどこにするかは 時間の都合で理由付けによるしかない。 収束性が悪い、あるいは収束しないためだ。
境界条件 しかし、締切のような時間的境界条件は初期条件という 言葉にマッチしないのでここではまとめて境界条件と呼ぶ。
境界条件 実作業にかかる時間は自動化することでいくらでも切り詰められる。 その分、境界条件の見極めに時間を割くようでありたい。
境界条件 その分、境界条件の見極めに時間を割くようでありたい。
境界条件 時間的なものは初期条件と呼ばれることも多い。 しかし、締切のような時間的境界条件は初期条件という
境界条件 境界条件には空間的なものも、時間的なものもあるが、 時間的なものは初期条件と呼ばれることも多い。
忙却 そう言えば、忘と忙は構成要素を同じくしているが、 忘却というのは、時間領域における処理項目が多くなった結果、 ルックアップのタイムアウトを取るために実装されるのに対し、
圧縮情報 この夏、ポケモンGOとともに歩きスマホが問題になったが、 歩いていない時間でもスマートフォンを操作する時間は 大分長いように見受けられる。
科学と文化をつなぐ 次は読んでみようと思う。 利口なハンスの説明の中で、長時間サイクルを促進する短時間サイクルという構図が 取り上げられるが、これは意味付けの過程にも見出されるような気がする。
散文と詩 個人的にはブログやメールのような、推敲する時間が取れて、 それを要約したタイトルをつけるメディアの方が好きなのだが、
SAIKAWA_Day11 夢を見るのはレム睡眠中であり、レム睡眠は加齢とともに短くなる。 上記の、判断の反芻によって固定化を行う時間がレム睡眠に対応 するのであれば、加齢とともに新しい判断が少なくなっていくために、
SAIKAWA_Day11 「ハーモニー」でスイッチが押された後の世界では、きっと睡眠は 今よりも短時間になるはずだ。
忙却の彼方 スイッチが押された後の世界が待っている。 そこは、時間がなく、空間のみが広がる忙却の彼方である。
SAIKAWA_Day30 という問を思い返すと、意味付けを行わない器官なき身体は 空間を認識せず、時間のみを認識するようになる。 今の人間は、相対論のような話はあるものの、概ね一つのもの
SAIKAWA_Day30 高校生のときに本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」を読んだ ときにはあまりピンとこなかったが、この話に通ずるのかもしれない。
SAIKAWA_Day30 共有することで、時間概念の数が少数にまとまるのではないか。 高校生のときに本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」を読んだ
SAIKAWA_Day30 時間を一つだとは認識せず、上記の同一性の仮定の基盤を 共有することで、時間概念の数が少数にまとまるのではないか。
SAIKAWA_Day30 今の人間は、相対論のような話はあるものの、概ね一つのもの として時間を認識するが、おそらく、この器官なき身体たちは、 時間を一つだとは認識せず、上記の同一性の仮定の基盤を
非同期処理の同期化 同期化が時間のことなのだとすれば、より多くの非同期処理を 同期化することは、時間がゆっくり流れるように感じられる
非同期処理の同期化 非同期処理の同期化のことかもしれない。 この同期化に伴って時間の概念が生まれると言えるだろうか。 小坂井敏晶が「同一なものがあるのではなく、同一化がある」と
非同期処理の同期化 同期化することは、時間がゆっくり流れるように感じられる ことに相当すると考えられるが、これは、いわゆる頭の回転が
非同期処理の同期化 光速に極めて近い速度で移動する系で行われる理由付けは、 無限の非同期処理を同期化できることで、時間を失うのだろうか。 相対論的効果を、光速に近い速度で移動する系において実証した
非同期処理の同期化 解決する必要がある。 単位時間あたりに変化する位置座標同士の距離という速度の 定義において、単位時間とは何なのか。
非同期処理の同期化 定義において、単位時間とは何なのか。 むしろ、同期化する処理の数の多寡が系の速度と光速の比の
抽象 不可能性に対応するだろうか。 非同期処理の同期化を時間とみなしたときの、タイム トラベルが何を意味するかはさておき。
空間 思うに、時間の問題よりも空間の問題の方がやっかいである。
自由度 時間もまた、心理的身体ごとに固有のものであってもよいが、 異なる心理的身体との通信によってコンセンサスがとられ、
ベルクソン『物質と記憶』を解剖する あえて入れるなら知覚か記憶のカテゴリのような気がする。 そもそも、記憶、知覚、時間は3つとも複雑に入り組んでおり、 各章にすべての要素が入り込んでくるので、この名前で章分けすること
ベルクソン『物質と記憶』を解剖する 時間論に関しては、 An At a NOA 2016-11-18 “非同期処理の同期化
ベルクソン『物質と記憶』を解剖する 第3部「時間」については、デューリングと郡司の話を除いてピンと 来なかった。というよりも、デューリングの話を読むことで、
ベルクソン『物質と記憶』を解剖する 第2部「知覚」ではやはりギブソンとの絡みが多く、場所によっては この次に出てくる時間論も入ってくる。
整合性の破綻 そこに投機的短絡を持ち込むことで、整合性を破綻させる 代わりに、とてつもなく短い時間スケールの中で判断および 変化するようになったのが、理由付けに基づく意識という
整合性の破綻 整合性が破綻しない。 それは非常に長い時間スケールにおいて、すなわち、 多数の判断機会を確保することで、整合性を担保しながら
整合性の破綻 再生しようとする様は、とてつもなく滑稽にみえるかもしれない。 しかし、その方法によって意識はこれだけ短い時間で多くの判断を 下してきたのだ。
整合性の破綻 では、情報処理能力の発展により、短い時間スケールにおいても 多数回の判断が下せるようになったとき、そこに理由を求める
グラフィックボード 自然な気がしてくる。 仮に人間の体感する時間の速度がもっと速かったら、天動説は史実よりも かなり早い段階で棄却されていたんじゃなかろうか。
2016年 回文が4記事、アナグラムが10記事で全体の3%とは情けない。 暇な時間を読書と思考に割くようになったから致し方ない部分も あるのだが、感覚が鈍らないように来年はもう少し取り戻そう。
意識に直接与えられたものについての試論 それはつまり、直接経験するということに他ならない。 想起される過去や力学モデルとして抽象した未来が、実時間よりも遥かに 高速に再生できるのは、それらが抽象によって圧縮されることで、
意識に直接与えられたものについての試論 シミュレーションでは、構造を抽象することで対象の延長的な性質のみを 考慮するおかげで、時間は単なる媒介変数として扱えるようになる。 一方、エミュレーションの場合には、具象のまま対象の持続的な性質を
意識に直接与えられたものについての試論 一方、エミュレーションの場合には、具象のまま対象の持続的な性質を 考慮したい場合が多く、時間は空間のように等質なものではなくなる。 あらゆる過去が、理由付けを経て圧縮されているためにシミュレーションの
意識に直接与えられたものについての試論 それは、理由の連鎖がユニークでないことの現れである。 現在とは、それこそ、流れる時間というモデル化とともに現れる、 「機械論的な説明の物質化された残滓(p.165)」に他ならない。
意識に直接与えられたものについての試論 そこではすべての抽象が不変であり、決定論的に振る舞う以外にないため、 自意識も自由もなくなり、時間は媒介変数になるだろう。 エミュレーションのみの世界は悩み多き世界であり、宗教や科学を手に入れる以前の
意識に直接与えられたものについての試論 上手く両立させてきた。 ベルクソンが、「自由とは何か」という問を「時間は空間によって十全に 表されうるか」と換言した上で、
生命、エネルギー、進化 対象を抽象することでシミュレート可能になり、 空間的にも時間的にも隔たった対象についての 考察が可能になる。
理由欲 実在には、時間も空間もないだろう。 それらはすべて、抽象によって見出される構造だからだ。
吹き溜まり 実在の抽象は空間の中でも時間の中でもない 領域で行われているはずだ。
吹き溜まり その得体のしれない吹き溜まりを、吹き溜まり自身が シミュレートすることで、空間や時間という構造を 浮かび上がらせている。
教育の抽象化 言葉以外の情報も同時に与える教育というのは重要 だと思うが、いかんせん時間的、金銭的なコストがかかる。 その上、伝達方法を工夫しないと、教育を受ける側で
好奇心 この順に自分以外の力で補填することが難しいと思われるので、 好奇心のあるうちは無理に時間とお金を節約しなくてもよいのだと 自分に言い聞かせ、今日も本を買い、読書に耽るのである。
好奇心 好奇心と時間とお金は、長期的にみればこの順に枯渇するだろうし、 この順に自分以外の力で補填することが難しいと思われるので、
エントロピー再考 されているように思われる。 そこからエントロピーも時間概念も生ずるのだろう。 シミュレーションにおける媒介変数としての時間ではない、
エントロピー再考 シミュレーションにおける媒介変数としての時間ではない、 エミュレーションにおける時間は、エントロピーと区別可能
エントロピー再考 エミュレーションにおける時間は、エントロピーと区別可能 なのだろうか。
エントロピー再考 シミュレーションのために、エントロピーのある性質を抽象 したものが時間だとみなせるだろうか。
熱学思想の史的展開 エントロピーは、それが増大する方向にエネルギーの変化を制御するが、やはりそれは時間と関係しているだろうか。
言葉使い師 それに伴って受け手側が補完することを怠るようになるため、 空間的にも時間的にも細かいところまで制作側で補完をつきつめる ことになる。
探し物 蔵書一覧が作れるが、できるとわかっていることにはあまり食指が 動かない。よっぽど時間ができたらやろう。
時間の非実在性 向き付けられた順序構造とエントロピーが関係しており、 時間とはつまり常に増大するエントロピーのことなのかも しれないと思われるからである。
時間の非実在性 ジョン・エリス・マクタガート「時間の非実在性」を読んだ。 永井均による注解と論評は未読だが、こちらも面白そうだ。
時間の非実在性 時間が実在しないことについては同意できる。 しかし、A系列よりはB系列の方が時間にとっては本質的
時間の非実在性 しかし、A系列よりはB系列の方が時間にとっては本質的 なのではないかと思う。
時間の非実在性 ということには同意できる。 意味付けは空間、理由付けは時間にそれぞれ対応するという予想が 妥当だとすると、物理的身体は事象をC系列としてしか認識せず、
時間の非実在性 事象を眺める視点をその事象以前に置いたり、媒介変数としての 時間のみを扱ったりするといったシミュレーションの中でしか 現れない。
時間の非実在性 個人的な時間観については
An At a NOA 2016-11-18 “思い出への補足
野沢温泉 のだと思われる。 東京から2時間くらいで着くし、スキーも温泉もお酒も あるのだから魅力的なはずだ。
読書について しかし、その時間という制約の代償として手に入れた知恵によって、 せめて可能な限り長く、好奇心を生きながらえさせたいものだ。
読書について というのは、何ものにも代えがたい手応えをもっている。 その手応えは、お金や時間があるだけでは手に入らず、かなりの 部分で各々自身に拠っている一方で、読書や会話、観察や経験
読書について 入力も出力も、物理的身体に拘束された心理的身体にはじれったい ほどに時間がかかる。 しかし、その時間という制約の代償として手に入れた知恵によって、
シャッター街とショウルーム 物々交換というのは本来、実物同士を同じ場所、同じ時間に 集合させ、同じ価値に位置付けることで成立する。
シャッター街とショウルーム 可能であったが、そこに価値判断における中間項として貨幣を 挿入することで、場所も時間もずらせるようになると、徐々に 事情が変わっていく。
未来のイヴ 完全に合理的になった世界を描いた。 そこは時間が媒介変数となった、凍った世界である。 意識が死んだ世界というのはむしろ、合理性の点では現状と
可逆圧縮 その世界ではタイムマシンも可能になるだろうが、 そもそもその世界において、時間が媒介変数としての 役割以外を果たすことがあるだろうか。
せめて、人間らしく 文科省主導のプロジェクトなのだからもっと教育の 話をすればよいのにと思ったのだが、時間の関係も あり、盛り上がり始めたところで終わってしまった。
文化進化論 さすがに胡散臭く聞こえるのは確かだが、それは何故だろうか。 固定化と発散のバランスにおいて、人間の観察する時間スケールで 固定化によっている場合は生物学的進化、発散によっている
灰色の境界 物の区別は解消し始める。 これが死と呼ばれる過程であるが、時間幅のない現象として 死を定義するために、エネルギーの摂取が不可能になった時点を
暴力と社会秩序 熱機関や医療といった技術によって、個体の領域が空間的にも 時間的にも拡がったことも、何らかの影響を与えているだろう。
暴力と社会秩序 個人という、時間的にも空間的にも有限の発散の源から、 発散の構造を抽象することで、その制御が可能になる。
サピエンス全史 図37のサルヴィアーティの世界地図が印象的だ。 その成長は、空間的にも時間的にも微に入り細を穿って 進行してきたが、いつまで空白を埋め続けることが
科学とモデル 圧倒的大量の無相によって特徴抽出されたモデルにおいては、 時間はすり減っている。 「目や口があるから人間の顔に見える」と、「人間の顔として
科学とモデル 本書で扱われるモデル化が理由付けのみに限定されて いることを考えると、むしろ時間やエントロピーの 観点からタイプ分けする方が納得がいく。
科学とモデル 観点からタイプ分けする方が納得がいく。 時間が単なる媒介変数になるまで抽象されたモデルは、 ある一つの表示形式に全情報が詰まっているため、
科学とモデル エントロピーが変化しない。 そうでないモデルにおいては、モデルが時間発展する ことができ、エントロピーが増大する代わりに、
科学とモデル 因果的特性について言えば、エントロピーが増大する モデルではエントロピー増大によって時間の前後が 決まるので、モデルに因果的特性が内在し得るが、
札幌 充実していた。 早足でしか見れなかったが、数時間かけて見られるレベルだ。 キャンパスの中も自然が多いのはもちろんのこと、古い建物も
時の概念とエントロピーならびにプロバビリティ という指摘は面白い。 「ゾウの時間 ネズミの時間」のように、種ごとに異なる時間の流れも あれば、同種の人間同士でも異なることもあるし、一人の人間をなす
時の概念とエントロピーならびにプロバビリティ ガン細胞が代謝異常として特徴付けられるのであれば、人体の中で 特定の部分にだけ生じた時間のひずみやエントロピー減少速度の失速 として定義できないだろうか。
時の概念とエントロピーならびにプロバビリティ 不老不死の仙人が見ている摩擦のない振り子は、シミュレーション における媒介変数としての時間にあたる。
ゼロリスク ゼロリスクには金銭的にも時間的にも無限のコストが伴う。
思考の体系学 理由付けは、合理的システム、系統樹思考、メトニミー、 古因科学、ツリー、順序構造、プロセス、時間に、 それぞれ相当する。
思考の体系学 数量分類学のような分類思考だけでは上手くいかないのは、 人間が時間の流れの中に生きていると認識しているからだろう。 時間が停止した、エントロピーの増大しない世界であれば、
思考の体系学 時間が停止した、エントロピーの増大しない世界であれば、 系統樹思考を棄て、分類思考のみに頼るという選択肢もあり得る
思考の体系学 抽象結果=構造を、短時間で効率よく伝えるために、ダイアグラムは とても有効であるが、インテルメッツォ(2)〜エピローグで強調される
思考の体系学 しれないが、これらの間にも、分類思考と系統樹思考の間のように、 時間の要素が絡んでいるはずだ。
大英自然史博物館展 パサージュから百貨店、ショッピングモールへと 至る系列と異なるのは、時間に対する態度だろう。 博物館では時間的な背景が作り出すストーリィが
大英自然史博物館展 博物館では時間的な背景が作り出すストーリィが 展示物の価値を生み出しているという意味では、
19世紀パリ時間旅行 ANAの機内誌「翼の王国」の鹿島茂の連載で知った展覧会、 練馬区立美術館の「19世紀パリ時間旅行」に行ってきた。
マルセル・ブロイヤー展 工芸館の「動物集合」は時間がなくて見れなかったので また今度。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 エントロピーと時間が同じ概念だとすると、 チェインにおける時間概念はニュートン的な絶対時間、
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 概念がなくなるとも思えないが、インターネットの発展とともに、 徐々に時間が薄れる方向に進みつつあるような気がしなくもない。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 樹状律が成立するため、ある二つの事象がともに別の事象の前に 起こるという条件下では、それらの時間的な前後関係が確定できる。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 一意的なエントロピーが定義できることになる。 これはつまり、全順序構造をとるチェインでは時間的な前後関係が 確定できるということであり、逆に、擬順序や半順序であるツリーや
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 チェインにおける時間概念はニュートン的な絶対時間、 ツリーにおける時間概念はアインシュタイン的な相対時間、
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 ツリーにおける時間概念はアインシュタイン的な相対時間、 としてイメージできる。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 としてイメージできる。 相対性理論においても、それぞれの系の中では時間が存在するのは、 人間の観測において樹状律が成立し、系ごとに異なるため一意的では
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 比較可能律や樹状律が人間の思考様式の具える特性だとすると、 エントロピーも時間も、人間の思考とともに存在するだけのものになり、 マクタガートの「時間の非実在性」の議論に辿り着く。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 マクタガートの「時間の非実在性」の議論に辿り着く。 比較可能律や樹状律を導入することで、エントロピーや時間、順序を
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 比較可能律や樹状律を導入することで、エントロピーや時間、順序を 定義できるようにするというのがつまり、自然を人工化するということだ。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 伝統的には充足理由律が比較可能律のように取り扱われることで、 絶対時間の概念が根強かったが、相対性理論を境に緩和され、 今では充足理由律はよくても樹状律しか包含しないように思う。
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 ではもはや充足理由律は成立していないと言った方がよいだろう。 相対性理論によって揺るがされた後でも、絶対時間が近似値としては 依然として有効なように、相対時間まで揺るがされたとしても時間の
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 依然として有効なように、相対時間まで揺るがされたとしても時間の 概念がなくなるとも思えないが、インターネットの発展とともに、
時間と感覚 塩分や紫外線でそれぞれの材料を劣化させることは技術的に 可能であり、知覚だけで差別化を図ることは時間を媒介変数 として捉えるだけになってしまう。
時間と感覚 同一であることを目標に作られ、媒介変数になった、空間化された、 延長的になった等と形容される時間を生きる使命を帯びていた 近代の材料を、アンリ・ベルクソンの言う持続の中に戻すことが
時間と感覚 近代の大量生産を象徴する鉄とガラスとコンクリートを使って 1000年という時間に耐えるというのはとてもチャレンジングだ。 1000年前の建築というと、ハギア・ソフィアや平等院鳳凰堂
時間と感覚 差が生まれるのは感覚の段階であり、その差には媒介変数化 されていない時間が関係している。 感覚もまた、物語られた知覚である。
あなたの人生の物語 このところ考えている、理由と時間の関係が主題に なっており、とても共感できるストーリィだった。
あなたの人生の物語 経験から順序関係が剥奪されることで一意的なエントロピーが 定義不能になり、一方向に流れる時間も存在しなくなる。
あなたの人生の物語 とっては「どのように」という問いに相当する。 諸事象間に時間の前後関係がなく、完全に調和しているときに 問うべきことは、それはどのような点で調和しているのか、
選択公理と意識の実装 その新しい集合は整列順序付け可能なので、一意的なエントロピーが 定義されることで一方向に流れる時間の中に置かれることになり、 意識はシリアルなものとして実装される。
メッセージ なくなってしまっており、原作のもっていた認識論や 時間論にも通ずるような洞察の深さは薄まっていた。
メッセージ 瞬間に、立ちどころに全容が把握されるようなスタイル であれば、同時的意識の「時間」感覚に近くなるように 思われるが、果たして逐次的意識しかもたない人間は、
ネーターの定理 の両者がいずれも力になるというのは、変化する対象を 空間と時間の両面から観察した結果が力に関係している ことを示唆しているように思えるが、時空の並進対称性と
長崎旅行2017 あまり足を伸ばす時間もないので、歩いていける範囲で 前回行けなかったところに行ってみた。
恣意性の神話 もまた、示しと語りや意味付けと理由付けの違いと同じである。 線形性の含む順序構造はエントロピーや時間と同じ概念であり、 predecessorとしての理由を仮定する充足理由律と表裏一体である。
リズムとテンポ ある瞬間に鳴っていると人間が知覚する音ですら、空気の振動 であることを考えれば、時間的な幅なしでは音として聴こえず、 空間的なパターンとしての音色や音程という表現はあまり適切
リズムとテンポ 上記は一般的に受け入れられているリズムとテンポのイメージ に近いと思われるが、リズムと音色や音程の違いを時間と空間の 違いとして捉えるのは妥当なのだろうか。
リズムとテンポ リズムrhythmはギリシャ語のῥυθμός(any measured flow or movement)に由来し、時間的なパターンを表す。 一方、空間的なパターンは周波数特性として音の三要素の
リズムとテンポ テンポtempoの語源はtempus(ラテン語で「時」)であり、 同じように時間に関わるが、こちらは速度に対応している。 tempusがさらにギリシャ語のτέμνω(to cut)に関係している
築地と豊洲 だから当然だ。 そこに時間とお金をかけることは、専門分化と 効率化の両方を同時に低減することになる。
ゲンロン5 型を行う物理的身体と物語る心理的身体の共存が、そのまま同時に 時間的な共存でもあるという構造自体もまた、「幽霊的」に共存 しているというのがとても面白い。
ゲンロン5 共同討議2「演劇の起源と幽霊の条件」ではまた別の視点として 時間のズレの話が出てくる。
ゲンロン5 という東による鈴木忠志「演劇とは何か」の読みは、時間軸上の 「幽霊的」な在り方に対応している。
不断に忘れられ続ける世界 忘れてしまっては何も残らない一方で、 忘れることで時間が流れる。 不断に忘れられ続ける世界において、
安全と安心2 構図は変わっていない。 安心を本当に得るためには、暇になった時間を使い、 自らの責任で判断を引き受ける他ない。
リズムの本質について 両者ともに時間と関係しているが、リズムの時間エントロピーの意味での時間なのに対し、拍子の時間は
リズムの本質について エントロピーの意味での時間なのに対し、拍子の時間は 媒介変数としての時間でしかない。
リズムの本質について 媒介変数としての時間でしかない。
リズムの本質について 機械的、技術的、人工的、反復的、シミュレーション的、 などと呼べる、媒介変数としての時間が流れる世界を 受け容れるということである。
VALU お金を稼ぐ必要がなくなった時代に、有り余った 時間の中で意識を失わないために、お互い何とか 好奇心を稼ぎ合うという文脈で現れるイメージだ。
〈都市〉と〈田舎〉 こと自体が、近代という同じ物語を共有し、同じ 時間を刻むことを前提するために、わざわざ個別の 通信でそれを確認する必要がなくなったからである。
マッハとニーチェ 要素還元主義によって特定の判断基準を基にパーツを用意 するのは、時間と空間と自我を固定化することに他ならない。
過去に生きる エントロピーが増大しないシミュレーションの 世界では、時間が経過しなくなると想像されるが、 そこには引き延ばされた現在があるのではなく、
何を構造主義として認めるか セリー間での移動はメタファー=意味付け=空間であり、 同一セリー内での移動はメトニミー=理由付け=時間である。 セリーを駆け抜ける「6. 空白の桝目」である対象=xは、自己
時間の比較社会学 が析出してくる過程、〈時間の物神化〉の過程は、
時間の比較社会学時間のニヒリズム〉、
時間の比較社会学 しかし、あらゆる真理が何らかの前提の下にあるように、 近代人にとっての真理である〈時間のニヒリズム〉もまた 例外ではない。
時間の比較社会学 二つの視点から、原始共同体、ヘレニズム、ヘブライズムを 経て、この近代社会の時間感覚へと発展する様が描かれる。 牛時間のような〈生きられる共時性〉から、一般化され
時間の比較社会学時間のような〈生きられる共時性〉から、一般化され 抽象化された尺度としての「時間」=〈知られる共時制〉
時間の比較社会学 抽象化された尺度としての「時間」=〈知られる共時制〉 が析出してくる過程、〈時間の物神化〉の過程は、
時間の比較社会学 真木悠介「時間の比較社会学」を読んだ。
時間の比較社会学 〈自然性〉から〈人間性 〉への移行の中に充足理由律の 萌芽があるために、時間が不可逆的な線状のものに変化 すると言えるかもしれない。
時間の比較社会学 抽象化によって「時間」が析出すると同時に、それを語る 主体、意識、知、自我もまた、同様に析出する。
時間の比較社会学 主体、意識、知、自我もまた、同様に析出する。 その究極の果てには、〈時間の解体〉、〈自我の解体〉 としての分裂病や離人症、「関係の病い」が待っており、
時間の比較社会学 時間や自我の解体という共同性の発散は、反動として 固定化への希求をもたらし、近代的自我は、
時間の比較社会学 ゲマインシャフトとしての共同性が拘束として嫌悪され 解体される一方で、貨幣や時間を媒体とするゲゼルシャフト としての再・共同化が求められる。
時間の比較社会学 という矛盾が、〈死の恐怖〉と〈生の虚無〉としての 〈時間のニヒリズム〉となる。
時間の比較社会学 ような、近代社会のその先が描かれる。 死が生をむなしくせず、生が抽象化された時間を上すべり していかないのは、
プロトコル その世界では、もはや固定化された順序構造が共有されることは なく、時間充足理由律とともに薄められているのだろう。
実在への殺到 そこではもはや順序構造は一つに定められず、エントロピーの尺度も 一つではなくなるから、大域的な絶対時間ではなく局所的な相対時間 だけが有効になる。
実在への殺到 だけが有効になる。 それでも充足理由律を設定する限り、時間を数直線的にイメージしよう とするだろうが、理由の連鎖が頻繁につなぎ替わる中で、どこまで
ピアノを弾く哲学者 近代の絶対時間や貨幣という大域的基準が語ることで設定する 唯一のエントロピーの尺度がある一方で、「それはかつてあった」
アローの不可能性定理 的なエントロピーの尺度が存在しないことを意味し、 絶対時間を否定した特殊相対性理論にも通ずる。
語るボルヘス 「書物」「不死性」「エマヌエル・スヴェーデンボリ」、 「探偵小説」、「時間」の五つのテーマを通して語られるのは、 解釈と同一性についてである。
語るボルヘス そうした記憶し忘却する解釈の過程がさまざまにある中で、 物質としての本、肉体、絶対時間などがよすがとなって、 その都度見出される同一性が、作品、わたし、現在だろうか。
大人買い 大人の制約は、時間、体力、体面など、各方面からやってくる。 最も辛いのは、好奇心が減退し、手に入れることだけを楽しむ
都市と野生の思考 理由付けは時間やエントロピーを設定する順序付けであり、 物語、フィクションとして共有されることで、家族、特に
構造設計 将棋や囲碁の棋士がponanzaやAlphaGoの指す一手を「理解」 しようとするのと同じように、人間は、暇になった時間を使って、 理由付けという物語を補うところに注力していくのかもしれない。
ラ・ジュテ エントロピーとしての時間である女を求める男。 彼は意識そのものであるように思う。
ラ・ジュテ 自分が死ぬことを知ったのはいつだっただろうか。 あるいは、時間が一方向に流れることを知ったのは いつだっただろうか。
ラ・ジュテ 分離したデカルト的世界観を思わせ、過去と未来を行き来 しようとする科学者は、媒介変数としての時間を彷彿とさせる。 近代以降の媒介変数としての時間に支配された世界において、
ラ・ジュテ 近代以降の媒介変数としての時間に支配された世界において、 エントロピーとしての時間である女を求める男。
ラ・ジュテ 科学者と女は、無慈悲に流れ去る時間と永遠に続く時間の対比 でありながら、その実、
ラ・ジュテ ものとなって、媒介変数へと還元されない不可逆性を生んでおり、 エントロピーとしての時間に繋がっている。 人間は、記憶を思い出としてとどめるからこそ生きているのであり、
ラ・ジュテ 可逆な時間から逃れ、不可逆な時間を求めた末に、男は女の 目の前で収容所の追手に殺される。
ラ・ジュテ 目の前で収容所の追手に殺される。 これは、不可逆な時間の末に死に至ることの暗示だろうか。 それとも、可逆な時間の末に意識が消え去ることの暗示だろうか。
ラ・ジュテ それとも、可逆な時間の末に意識が消え去ることの暗示だろうか。
バーチャルYoutuber あんまりちゃんと見たことないけど、Youtuberの 面白さは、自分でやろうとしたら場所とか時間とか お金の関係でハードルが高いものを実現してくれる
バーチャルYoutuber 現実actualの空間にいるというのは、実写の写真や 映画と同じであり、場所、時間、お金などのactual ならではの制約を解こうとする企画と相性がよい
2017年 近代的な絶対時間との比較でしかないが、判断基準が 壊死しかけていないかの目安にはなるかもしれない。
2017年 判断基準の更新が滞ればあっという間に感じられるし、 判断基準の更新が著しければ長い時間に感じられるのか。 近代的な絶対時間との比較でしかないが、判断基準が
DEVILMAN crybaby時間くらいで一気に観れるので是非観てほしい。
struo その「壊す」過程によってエントロピーが増大し、 時間が流れる。 忘却と同じである。
デジタルデザイン  1. 遥かに高速である  2. 時間、空間、お金、発想などの制限が少ない のような利点があり、デジタルデザインが新しい
人新世の哲学 理由付けによるエラー導入の多様化と高速化のために、 近代的な絶対時間では高々数十年から数百年の期間が、 エントロピーの時間の観点では、それよりも遥かに長い
人新世の哲学 エントロピーの時間の観点では、それよりも遥かに長い 期間に相当するという感覚を捉えたのが、「人新世」
人新世の哲学 (人間の次の観測者が現れたとして、人新世の期間を 近代の絶対時間の意味で正しく推定できるのだろうか)
貨幣論 対する「固さ・難さ」を有しなければならない。 貨幣は、他のモノに比べてエントロピーの意味での時間の 流れがゆっくりであることで、相対的に流動性を獲得する。
貨幣論 貨幣にある種の「固さ」が必要とされるのは、商品よりも エントロピー増大の可能性が小さいことが、時間を止める ことにつながるからである。
貨幣論 商品を貨幣に置き換えることは、価値として見出された 秩序が、その生命以外によって解体される前に、時間を 止める過程である。
労働の裁量 個々の仕事にかける時間や手間や、結果の質、それに 対する報酬などの管理にはコストがかかるし、技術と
読書時間 読書時間0分の割合がこれだけ増えていると、 何か有意な理由があるのではないかと想像
勤労の美徳 よいと思うが、管理を目指した結果が過労死する ほどの労働時間をもたらすのだとすれば、それは 全体として人間が働き過ぎなのだ。
匂いのエロティシズム 触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚は、概ねこの順に、 時間や空間の距離による情報の減衰が小さくなり、 前者ほど近接型、後者ほど遠隔型だと言える。
エラーと淘汰と再生産 でもさ 環境の変化もエラーだと思えば やっぱり エラーがないと時間は進まないんじゃないかな
エラーと淘汰と再生産 なるほどね  じゃあエラー発生率が高くなるほど 時間が速くなるとか  あーでも淘汰の速さも同じ くらい速くならないとダメか  それに再生産の
エラーと淘汰と再生産 それってどんどん時間がずれてくことにならないかな
エラーと淘汰と再生産 突然変異みたいなエラーがなくなったら 生物は 進化しなくなると思うんだけど それって時間が 止まるのと同じなんだろうか
factorとcause factorは空間的、causeは時間的だと言える。 factorは分類思考、causeは系統樹思考である
VR, AR, Reality Realityの場合には、空間的、時間的に近いという 物理的な制約によって、共有される情報が決まる。
VR, AR, Reality むしろ、Realityを構成する情報のことを、空間的、 時間的に近いと認識すると言うべきかもしれないが、 その違いはあまり重要ではない。
ある島の可能性 旧人類が夢に見て、ネオ・ヒューマンが辿り着けなかった、 「時間の真ん中に存在する可能性の王国」に至れるもの として想定される未来人は、ネオ・ヒューマンの先には
ある島の可能性 その不死性によって、ひたすらに壊死へと向かうネオ・ ヒューマンに可能性の光明はなく、時間が媒介変数と 化した「終わりのない静止状態」を生きる他ない。
〈危機の領域〉 ことが、〈危機の領域〉に直面したときの納得や、「判断」 の時間整合性につながるのだと思う。
腕時計 離さず持ち歩くことによって、絶対時間という看守 による監視watchが四六時中作動し続けるという点で、
腕時計 限りなく精確かつ半永久的に時間を刻む機械を肌身 離さず持ち歩くことによって、絶対時間という看守
腕時計 腕時計は、近代が発明した絶対時間の手枷である ように思う。
主客のハーモニー などの膜によって後天的に獲得される。 多くのsujetは、そのことをほとんどの時間 において忘れているだけだ。
ちなみに、日本語では時間的にも空間的にも 「源」だが、英語では時間には「origin」、
源を辿り、それを共有する過程には、 直線状に不可逆に進む時間の概念が 現れており、最も人間的な行為の一つ
「源」だが、英語では時間には「origin」、 空間には「source」という使い分けがある
実証的モデル 同じ状況が来ることはないという発想 を含み、直線的で不可逆な時間を想定 するのだとすれば、実験という考え方
実証的モデル 時間は、実験と相性がよいのだろう。
実証的モデル と神話は同じである。 媒介変数としての時間や、円環的な 時間は、実験と相性がよいのだろう。
Cryptoeconomics 100年ほど前のことだ。 時間も空間も、ある前提の下でなされる便宜的な 解釈であり、時空概念の妥当性の問題は、それが
Cryptoeconomics 一定値である」という前提を採用した場合に、 時間と空間がどのように見えるかという観点が 「相対性理論」として提唱されたのは、つい
Cryptoeconomics 日常生活の基底となる時間や空間の絶対性は、 「光速度が無限大である」という暗黙の前提に
Cryptoeconomics ブロックチェーンという充足理由律に基づく別の 前提を持ち込むことで、相対性理論が時間と空間 に対してやったのと同じことを、貨幣に対して
空間〈機能から様相へ〉 様相の重なり合いに展開していく道に進む。 それは三次元空間+時間という絶対的時空概念から、 四次元時空という相対的時空概念への変化とも符合
ちのかたち 超線形設計プロセスのある切断面を実現するしかないため、 時間軸方向のコンセンサスの形成が課題となる。 これは、実現した切断面が「正義」として埋め込まれて
ドローンの哲学 どのようなかたちであれ、その違和感を解消する には慣れるための時間が必要になる。
技術の完成 判断基準が完全に固定化し、唯一絶対のものとなってしまうと、 あらゆるものが死んだ時間の中で正確に反復するものとして捉え られるようになり、それはディストピアと名指される他ない。
分身ロボットカフェ 働けるようになることは社会参加として肯定的に 受け止められ、時間、空間、身体などのあらゆる 制限を克服して就労機会が確保されようとする。
HALF-REAL 判断基準を安定化できるようになったことが、 時間や空間をはじめとするあらゆるものを刷新する 複雑な価値体系を維持する上で重要になったのでは
廃墟の美術史 当該領域は再び自然の流れに合流するが、 速度差が解消するには時間を要する上に、 合流した結果が元の流れと同じものに
廃墟の美術史 一種の過渡現象として近似できるだろう。 近代の理想が、絶対時間の実現、すなわち 時定数を無限大にすることだったとすれば、
ニッポン制服百年史 流行っては廃れる過程の中で淘汰された同質性も、 このような展覧会を通して、時間を超えて束の間 でも生き返るだろう。
映画と漫画 映画と漫画の共通点は、時間と空間のコラージュに あるように思う。
映画と漫画 映画は時間的な配置によって空間をつくり出し、 漫画は空間的な配置によって時間をつくり出す、
映画と漫画 漫画は空間的な配置によって時間をつくり出す、 という違いはあるかもしれない。
アナクロ クロノスを逃れ、カイロスへ。 強権的に付与される時間へのレジスタンスとしての アナクロニズム。
ルポ 人は科学が苦手 自分の周囲の局所的な情報だけを利用する のではなく、空間、時間、文化、種など、 あらゆる意味で、できるだけ広い範囲の
犯罪と自然災害 ある切り口での単純化が、現実のある特徴を よく捉えることで、短時間で効率よく理解 できることもあるが、元の現実の複雑さの
理想と現実 実現するものとは別の純な現実に漸近するが、 時間・空間的に不変・普遍化した純な現実ほど 恐ろしいものはない。
名付けられぬ逸脱 マジョリティとは、特定の観測点からみた集合の一次近似であり、一次近似による単純化の写像をまとめたものが常識である。観測点の周囲だけであれば十分よい近似になるが、空間軸や時間軸に沿って離れるほど、基本的には近似の精度は悪化していく。
頭の良し悪し (1)はぼーっとしているか頭が固いかのいずれかだ。それはそれでユートピア=ディストピア的な幸せに浸ることができているとも言える。 (2)はあらゆることについて等しく心配してしまう優柔不断な暇人だ。判断を下すまでに無限の時間を要するという問題以前に、偏りのない選択肢というのは情報的には無価値だと言ってよい。 (3)の評価は難しい。妥当性の与え方は一意的には定まらないため、結局のところ、自分が想定する見積もりと近い妥当性を与えるものを「頭が良い」と感じているに過ぎない。突飛な発想に対して、状況が変化してから後出しで「頭が良い」と言うことは簡単だが、事前に「頭の良さ」を指摘することの難しさたるや。だからこそ「馬鹿と天才は紙一重」なんてことが言われるのだろう。ここにも「頭の良し悪し」がある。
経済問題と環境問題 経済問題と環境問題は、いずれも人間がいかに住み続けるかに関するものであるが、対象とする時間的・空間的なスケールには隔たりがある。経済問題が、比較的短い期間や範囲を対象として、人間の活動をいかにやりくりするかを問うのに対し、環境問題は、比較的長い時代や領域を対象として、人間の活動によってもたらされるものの是非を問う。マクロ経済学をさらにマクロにしたものが環境学だとみることもできるだろう。
2019年 ドクタの学生だった頃は、考えたことをゆっくりと文章にする時間が取れたのだが、最近はなかなかそれも叶わず、記事の本数はめっきりと減ってしまっている。購入した本の数と読了した本の数は2017年や2018年と大差ないのだが、やはり言語化を怠ると考え事ははかどらない気がする。
その一方で、設計の実務が増えたり、展覧会や演劇を観に行ったり、演奏会をしたりと、身体的な実践のウェイトも少しずつ大きくなってきている。一対一・一対多・多対多、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚、言語・非言語など、物理情報を直接やり取りするコミュニケーションを通して、ソフトウェアとハードウェア、通信可能性と応答可能性、dataとinformation、除算モデルといった考え方を、実際の行いの中で確かめていきたい。
坂田一男 捲土重来 しかし、2階の展示室に降りてきて冠水の話を読んだとき、そのあたりのことが腑に落ちた。抽象絵画で涙が出たのは初めてのことだった。たしかに、一つの対象を、一つの空間と時間において、一つの観点から抽象するのであれば、シンプルな形の構成のみで表現することも可能かもしれない。そうではなく、さまざまな対象、空間、時間、観点を含む抽象を一つの絵で表現することを試みた結果、抽象は重なり合い、作品が物質感を帯びる。
1+2+3+4+1×2×3×4 最近は、模型/モデル/modelについて考えることが多いだろうか。他には、3Dプリンタ/スキャナやIoTセンサをどう使っていこうかなど。現実realの発している大量のデータを取り出せるようになったとして、それをどのように扱うべきか。人間が理解するためには、やはり適度に情報を圧縮compress/縮減reduceする必要がある。時間的/空間的により高精度/高精細にデータdataを取り出した上で、適切なかたちformを与えて情報informationにする。そのプロセスを繰り返すうちに生じる偏りが流儀modeとなり、モデルmodelが彫琢されるのだろう。データdataの源source/originである(あるいは、源だと仮想される)現実realityと、モデルmodelの関係や如何に。そこには当然、かたちformを与える視点の在り方が関わっている。つまりは、データdataのどことどことが、どういう点で似ているsimilarと見たか、だ。解像度を上げていけば同じに見えたものはいくらでも分解していくので、同じsame, homoではなく、類似similar, homeoでよいのだ。アナログanalogueとは、この連続性への信仰である。データdataはデジタイズdigitizeされているとは言え、視点perspectiveや解像度resolutionに応じてアナロジカルanalogicalに世界を見るということだ。
読む・打つ・書く 松岡正剛氏の千夜千冊に影響を受けたこともあり、書評というよりは、その本を読んで自分が考えたことを記録として打っておくという感じである。bookタグを付けた記事の大半が打った記録なので、250冊分くらいになるだろうか。 数々のマルジナリアを曲がりなりにも一つの文章にするのは、それなりに時間も手間もかかるものの、その時点の自分がどのように消化しようとしたのかがわかるのは面白い。 断片的な個々の読みを、一本の書評として体系化する。ここにも断片から体系へのプロセスが働いている。この過程は、限りなく「考える」に近いと思っている。