時の概念とエントロピーならびにプロバビリティ
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エントロピーについて調べていたら、寺田寅彦が書いた
「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」という
エッセイを見つけた。
「エントロピー再考」を読んだときに考えた、
シミュレーションにおける媒介変数としての時間ではない、 エミュレーションにおける時間は、エントロピーと区別可能 なのだろうか。
An At a NOA 2017-02-10 “エントロピー再考”
というのと同じ問題意識だ。
不老不死の仙人が見ている摩擦のない振り子は、シミュレーション
における媒介変数としての時間にあたる。
第一に種々の個体の集団からできた一つの系を考える時、その個体 各個のエントロピーの時計の歩調は必ずしも系全体のものの歩調と 一致しない。従って個体相互の間で「同時」という事がよほど複雑な 非常識的なものになってしまう。しかしそこにまたこの時計の妙味も あるのである。
寺田寅彦「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
という指摘は面白い。
「ゾウの時間 ネズミの時間」のように、種ごとに異なる時間の流れも
あれば、同種の人間同士でも異なることもあるし、一人の人間をなす
細胞ごとに異なることもあるだろう。
ガン細胞が代謝異常として特徴付けられるのであれば、人体の中で
特定の部分にだけ生じた時間のひずみやエントロピー減少速度の失速
として定義できないだろうか。
北大の総合博物館には多数の化石が展示されていた。
かつてエントロピーが減少する島であった生命体へのエネルギー供給が
停止して久しく、化石に蓄えられているのは、もはや更新されることが
なくなった、固定化した情報である。
そこから取得された情報が忘れられることで系のエントロピーは増大し、
いずれ化石は完全に有相から無相へ戻るだろう。
無相はいかなる秩序も有していないので、キリスト教的な永遠の魂という
概念ではなく、仏教的な個の連続性を有しない輪廻転生である。
マクスウェルの悪魔への回答にもなったランダウアーの原理に対抗する
かのように、集団として忘却への冗長性を高めようとして、人間は知識の
共有を行っているようにも見える。