生態学的知覚システム


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J.J.ギブソンの「生態学的知覚システム」を読み終えた。

ギブソンの唱える直接知覚論は、最近考えているセンサとしての 身体という見方と共通する点が多く、共感できる。

一点捉え方が異なるかもしれないと思ったのは、情報の在り方だ。
ギブソンは、情報自体が既に構造をもっており、その不変項を検知 するとしている。
個人的な直感としては、情報に構造を与えることは知覚システム側 の処理なのでは、というところだ。それは特徴抽出によって行われ、 不変項の検知までを含めて意味付けと呼んでいる。

感覚作用なき知覚はあるが、情報なき知覚はありえない。
J.J.ギブソン「生態学的知覚システム」p.2

ちょっと前の記事で引用したが、再掲。
感覚作用は理由付け、知覚は意味付けに近いものだと考えれば、 情報→知覚→感覚作用という順は崩れないはずだ。
感覚作用についての著者の考えは、本書にはあまり出てこず、 直接知覚論自体、ここで意味付けと呼んでいる範囲をターゲットに しているように思われる。

知覚の恒常性の説明を、脳だけに求めず、知覚器官の調節も含めた 能動的知覚システムの神経回路に求めなければならない。
同p.5

脳の役割に関しては個人的にも判断しかねる。
以前から、プロセッサ兼メモリという言い方をしているが、 ギブソンは脳はそのいずれでもないとしている。
少なくともメモリに関しては、ギブソンが言うように、記憶というかたちで 何かが保存されるというよりは、神経回路全体の情報に対する共鳴という イメージの方が近いのかもしれない。
ディープラーニングからの類推で言えば、脳がプロセッサ兼メモリになっている というよりも、脳以外の神経回路を可視層、脳内の神経回路を隠れ層とした ボルツマンマシンを神経回路全体で構成しており、隠れ層でのパラメタの 調整がプロセッサやメモリのような処理として観測されるということでも よいのかもしれない。

反響音は、反射した対象の情報をほとんどはこばない。しかし、音の 原因事象の時間的構造や、振動周期の情報は、たいへん精密に与える。
同p.20

一方で、光については、

エネルギー放射は、環境によって変更された後に限り、地上環境の情報を運ぶ。
同p.238

としているのは不思議だ。光が放射よりも反射によって情報をもつことになるというのは とても面白いが、何故音では反射よりも放射時の情報の方が大きいのだろう。
他の知覚に関してはどうだろうか。このあたりはそれぞれのセンサの特性に よるのかもしれない。

異常な情報が長時間知覚システムに押しつけられると、《再較正》が 起こることを示唆する実験があり、これは脳内の較正過程を理解する 助けになるかもしれない。
同p.140

VRに対する較正の問題には、較正が生じないようにVRを限りなくRealityに 近づける道と、再較正を許容する道の2つがあるが、どのように解決していくだろうか。
第14章の以下の文は、VRに対する警告ともとれる。

真の幻覚を招く知覚システムの機能不全は、おそらく、重い精神障害のように、 知覚的探求がある種抑制され、知覚情報の現時点での入力が遮断もしくは 拒絶されることによるのである。
同p.367
システムは、明瞭性を達成するまで「狩り」をする。
同p.311

と書いているのは、伊藤計劃の言う、人間は無意味に耐えられないということと同じだ。
単にデータ量の問題という点では、意味付けと理由付けの境界はかなり曖昧である。
知覚システムは常に強制的な抽象を行っており、追加データによる隠れ層のパラメタ 変更がほとんど起こらなくなった状態を意味付けとみなせるのだとすれば、 痴呆と無意識は本質的に同じことになる。
認知症の治療というのは、知覚システムがもつ過度な最適化の抑制ということになるが、 果たして適度と過度の仕分けは可能だろうか。

物理的な事象は、前と後の関係に従い、過去と未来の対照には従わない。
情報への共鳴、すなわち、環境との接触は、現在とは何の関係もない。
同p.317

知覚システムが情報を抽象する際には、空間も時間もないはずである。
ギブソンが隣接順序と継起順序と呼ぶものは、ブルバキ的に言えば位相構造と 順序構造である。こういったものは、外的な情報がそもそももっているものだろうか。
それとも、抽象の過程で想定されるものだろうか。

したがって、《同じ》の検知は《違う》の検知と同様に根本的である。
同p.319

情報とセンサが先行し、意識が追従するものというストーリィに共通する、 最も根本的な判断は、この「同一性」である。
この同一という判断を下すことが抽象であり、ギブソンの言う不変項の検知である。

本書の提案する理論では、識別は、《それ自体》で有用な行為である。
それは、罰や報酬によってではなく、明瞭さによって強化される活動である。
同p.324

何故意味付けや理由付けを行うのか。この問もまた理由付けである。
「識別」や「判断」が先か、「不変項の検知」や「抽象」が先か。
それは、生命とは何かという問とほぼ同じである。

果たして、生命を維持するために情報に意味付けをし始めたのだろうか、 それとも、情報に意味付けをし始めることで、生き始めたのだろうか。
An At a NOA 2016-07-05 “随想録1
自分が何者であるかを探し求めているすべての人に本書を捧げる。
同p.371

p.s.
J.J.ギブソンはアフォーダンスという語の提唱者としても知られるが、 私はアフォーダンスの意味を取り違えていたようだ。
建築の授業で習うのは、Wikipediaのアフォーダンスの項で「デザインにおける アフォーダンス」とされているもので、ドナルド・ノーマンによる誤用で広まった 考え方の方である。