時間と感覚


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The Veteran Photographer Making Stunning New Buildings

杉本博司へのインタヴュー記事。

近代の大量生産を象徴する鉄とガラスとコンクリートを使って 1000年という時間に耐えるというのはとてもチャレンジングだ。
1000年前の建築というと、ハギア・ソフィアや平等院鳳凰堂 あたりが該当する。

単に劣化した状態が美しいことを目指すだけでは、おそらく 成立しない。
塩分や紫外線でそれぞれの材料を劣化させることは技術的に 可能であり、知覚だけで差別化を図ることは時間を媒介変数 として捉えるだけになってしまう。

ストラディヴァリウスと新品のヴァイオリンの価値の差もまた、 知覚としては存在しない。
Ditch the Stradivarius? New violins sound better
差が生まれるのは感覚の段階であり、その差には媒介変数化 されていない時間が関係している。
感覚もまた、物語られた知覚である。
An At a NOA 2016-11-20 “知覚と感覚

同一であることを目標に作られ、媒介変数になった、空間化された、 延長的になった等と形容される時間を生きる使命を帯びていた 近代の材料を、アンリ・ベルクソンの言う持続の中に戻すことが 可能だとすれば、それは物語によってである。
このことを無意味だと切り捨ててしまうことは簡単であるが、 物語に価値を見い出せることにこそ、理由を気にする存在としての 意識をもった人間らしさがあるはずだ。