Logical Induction
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New paper: “Logical induction”
MIRIがLogical inductionというタイトルの論文を出した。
理由付けのモデル化に相当するだろうか。
MIRI Blog 2016-09-12New paper: “Logical induction”
- the ability to recognize patterns in what is provable
 - the ability to recognize statistical patterns in sequences of logical claims
 
の2つを同時に考慮しているという意味では、前者が意味付け、
                    後者が理由付けということなのかもしれない。
                    まあでも、proveという概念自体、理由付けに依拠するものであるから、
                    ここでいうrecognize patternsというのは、いわゆるパターン認識とは
                    別の過程として理解し、Logical induction=理由付けとみなすのが
                    よいのだろう。
following propertyiesとして挙げられているものの最後に、
                    やはりというべきか、ゲーデルの不完全性定理絡みの話が出ている。
意味付けや理由付けによる体系を「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論」と 呼べるのかはわからないが、もしそうだとすれば、無矛盾性により判断不能な命題が 存在してしまうことは、厄介な問題になるはずだ。
これを回避するために、矛盾性をはらむことを許容しているという可能性はあるだろうか。
An At a NOA 2016-08-05 “知の編集工学”
Logical inductionも平時についての理論としてはよいモデル化だと
                    思えるが、判断不能という非常時に備えた、何かしらの矛盾性が
                    要素として入ってくることになるのではなかろうか。
個人的には理由付け=投機的短絡speculative short circuitという
                    表現がしっくりくるので、Logical inductionのようなuncertaintyの
                    下での判断機構に関する話題は大変興味深い。
p.s.
                    そう言えば、メイヤスーの展開する思弁的実在論の「思弁的」の訳も
                    speculativeである。
                    広辞苑の「思弁」の項には、
①実践に対して、観想・理論の意味。
②経験によることなく、ただ純粋な思考によって経験を超えた真理の認識に 到達しようとすること。(後略) 【思弁哲学】(spekulative Philosophie) 経験によらず、もっぱら思弁に基づく哲学。(後略) 広辞苑 第六版
とあるが、哲学的にはこの意味でのspeculativeであって、「投機的」
                    ということではないのだろう。