言葉使い師
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神林長平「言葉使い師」を読んだ。
言葉は、意識間の通信に使用されるプロトコルの
一つであり、その中でも圧縮率の高いものである。
意識と意識の間で圧縮されて伝わった情報は、
それぞれの意識によって伸長されることで通信が
完了するが、伸長の際には実装ごとの差異が生じる。
辞書等といったかたちで標準実装は存在するものの、
圧縮によって失われた情報の補完の仕方にはある程度の
自由度が残っており、それこそ個性と呼ばれるものだ。
圧縮と伸長の過程に補完という自由度を含める手法は、
デフォルメと呼べるものである。
アニメーションにおいて、3DCGを駆使してリアリスティックな
表現を追求していくと、どんどん情報の圧縮率が下がっていく。
それに伴って受け手側が補完することを怠るようになるため、
空間的にも時間的にも細かいところまで制作側で補完をつきつめる
ことになる。
不気味の谷の際でのせめぎ合いだ。
デフォルメした場合、補完は受け手側で行われるようになり、
その精度はそれぞれの受け手が望むまで滑らかになる。
制作側には、その方向をある程度制御できるだけの技量が
求められることになる。
言葉使い師も同じことである。
言葉を使うことが禁止され、テレパシーで心象がそのまま伝わる
世界というのは、補完の自由度を削ぎ落とした状態であり、
一種のディストピアである。
現状の世界は表面的にはそんな状態にはないが、補完を省略する
ことに慣れきった受け手は、たとえそのようなディストピアに
いなくとも、実質的にはそれと同じものに自らはまり込んでいる。
きみという二人称で語られるこの小説自体が、パラフィクション的に
その種の装置として働いていることに、ただただ感心する。