灰色の境界
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境界を挟んでエントロピー勾配がある場合において、
エントロピーが小さい方を生きている、大きい方を
生きていないと定義したとする。
エントロピーの取り方によって生きている者と生きて
いない物の範囲は変わるが、何らかの意味で生きている
者は、エネルギーを摂取することでエントロピーが低い
状態を維持する必要がある。
エネルギーのほとんどは熱エネルギーのような程度の低い
形態で排出されるが、重要なのは摂取するエネルギーと
排出するエネルギーのエントロピー差分を確保することに
あるので、エネルギー自体は境界の生きている側に留める
必要がない。
エネルギーの摂取をやめたとき、生きている者と生きていない
物の区別は解消し始める。
これが死と呼ばれる過程であるが、時間幅のない現象として
死を定義するために、エネルギーの摂取が不可能になった時点を
便宜的に死と呼ぶものとする。
理由をエネルギー、概念をエントロピーとした場合、生きている
者は意識と呼ばれる。
概念を形成する過程は抽象と呼ばれ、抽象することによって
エントロピーが低下するが、そのために理由が必要とされる。
電気エネルギーの生成過程が発電、光エネルギーの生成過程が
発光と呼ばれるように、理由の生成過程は発理と呼べそうなもの
だが、歴史的経緯によって問いと呼ばれている。
理由は排出されると理屈と呼ばれるようになり、再利用する
ためには再び問いにかけるしかない。
理由を求めなくなったものは原義的な意味で死を開始するが、
死んだと呼ばれるのはもっとずっと後、それが不可能になったと
みなされた時点である。
かつて、意識の意味で生きている者は、動物の意味で生きている者の
うちの特定の種としか共存していなかったが、膨大な量の理由を
もって意識が自らの概念を確立したとみなしたとき、その束縛は
解除された。
そして同時に、すべての意識は意識の意味での緩やかな死を開始した。
境界は常に脆く不安定で曖昧である。
維持するための不断のエネルギー摂取が不可能になったとき、
その灰色の境界は崩壊する。
そしてまた新しいエネルギーとエントロピーの組が生まれ、
何らかの意味で生きている者と生きていない物のモノ語が
始まるのである。
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という小説のプロットを思いついた。
しかし、そのモノ語を語り得るのは、何の意味で生きている者
なのだろうか。