社会
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以下は、日本に限った話なのかもしれない。
・帰省しない人が増えている ・子どもを産まなくなっている ・産んだ後も仕事のため、保育園に入れる ・介護もしなくなっている ・近所付き合いは顕著に減っている ・見知らぬ人の子とのコニュニケーションを避けている 特に、怒らなくなっている
これらすべて、社会性を減らすような傾向であると言える。
そしてそれは、個人が趣味や仕事のための代償として
払った対価である。
個人の集合が社会を作っているというのは、
個人という概念ができた後に想定された物語で、
実は社会を分割してできたものが個人なのではないか。
教育や社会保障のサービス化というのは、
家族という仕組みの継続のためには悪手になることもある。
お金さえ払えば何でもかんでもアウトソースできる。
育児、教育、しつけ、看病、介護。
そしてそのお金はアウトソースしたこれらの行為の裏で
せっせと働いて稼いだものである。
貨幣のおかげで物々交換から解放されることで、
人間は他人との関係を少しずつ切り離すことに成功してきた。
国家としては、家族の形態がどうあろうが、あまり関係ないだろうか。
むしろ、貨幣のみでつながっている方が管理がしやすいとも言える。
先日、子育て給付金を廃止し、高齢者への給付金を行うという政策が
発表され、twitterなどでは一部から非難轟々だった。
でもこれって、構図としては仕事で稼いだお金で親を老人ホームに入れ、
代わりに子育てに時間を割くのと同じなのでは。
それを各家族でやるか、国家レベルでやるかの違いが非難を生んでいる。
個人が家族のつながりを減らしたいのであれば、
国家がその仕組みの肩代わりをすることを非難する資格はあるのだろうか。
時間は有限である。
その有限な時間を何のために使おうが個人の勝手である。
親も子も切り離し、趣味や仕事に邁進するのも、また一興なのかもしれない。