科学・技術・工学
そういったエラーを認識した上で、日常生活に技術を落とし込む
ことこそ、工学と呼ばれる学問のなすところである。
golangのstack traceをファイルに保存
予期せぬエラーでプログラムが落ちたときのために
golangのstack traceをファイルに保存しておきたいが、
go1.5
というエラーなのだが、やっと原因が判明。
アイコン用に用意していた.sysoファイルのせいのようで、
構造体に埋め込みがある場合のフィールド名
と書くと「mixture of field:value and value initializers」
というコンパイルエラーになる。
埋め込みフィールドのフィールド名がわからないのだが、
h2database
としても
エラー: メイン・クラスorg.h2.tools.Consoleが見つからなかったか
ロードできませんでした
ブラックボックス
果たして倫理的な出力のみをもたらすだろうか。
現実の状況を考えると、一定のエラーは避けられないと考えられる。
(人間に対して純度の高い入力を施した実例を知らないだけかもしれないが)
工学的
意味付けに基づく無意識は、端的に特徴抽出であるが故に、
理屈による理解とは無関係、一定のエラーが避けられない、
等の特徴を有しており、それは理学よりも工学に似ている。
工学的
ボットを制御する人工知能が工学的である限り、どれだけ技術が
進展したとしても、理屈が抜けていたり、常に一定のエラーを含んだり、
という特徴が拭えないということに起因していると考えられる。
LSD
LSDを服用したときにジョンが体験していたのは、抽象過程において
生じるエラーのように思える。
自然に生きるには人生は短すぎる
一つはトライアンドエラーを繰り返すことで、特徴抽出を行う方式。
もう一つは数少ない試行結果から投機的に設定した法則に従う方式。
境界条件
評価基準や境界条件が変化する場合にも、変化に法則性があったり、
トライアンドエラーを繰り返すことで変化の特徴抽出をすれば、
意味付けの評価機関に落とし込める。
golangでファイルの存在確認
あるファイルを開くときに、あればそれを開き、なければエラーを返す、
というような処理では、os.IsNotExist(error)を使い、
golangでファイルの存在確認
というような処理では、os.IsNotExist(error)を使い、
あるファイルを作るときに、なければそれを作り、あればエラーを返す、
というような処理では、os.IsExist(error)を使うことになるのだろう。
golangでファイルの存在確認
os.Stat(string)は前者に相当するエラーを返すので、os.IsExist(error)では
チェックができない。
SAIKAWA_Day19
それでも、このエラーは行動レベルのものであるため、物理的身体が
固定化した際のバックアップにはなるものの、物理的身体自体のエラー
SAIKAWA_Day19
Wシリーズで描かれる世界なのかもしれない。
物理的身体にエラーを自在に組み込めるようになれば、有性生殖という
旧式のエラー侵入経路はもはや不要になる。
SAIKAWA_Day19
多細胞生物では、生殖細胞のみを複製することで、発生過程における
エラーの侵入を可能にした。
有性生殖では減数分裂による遺伝子の組み換えを導入することで、
SAIKAWA_Day19
有性生殖では減数分裂による遺伝子の組み換えを導入することで、
生殖細胞の複製段階においてもエラーが侵入できるようになった。
SAIKAWA_Day19
意味付けによる抽象において、固定化は避けがたい宿命である。
こうして導入されたエラーによって固定化を免れたからこそ、
生命という抽象過程は局所的最適化に陥らずに済んでいるのだろう。
SAIKAWA_Day19
意識を獲得した人間は、理由付けによってエラーの侵入余地を
確保できるようになり、そのエラーは犯罪や創造と呼ばれるに至った。
SAIKAWA_Day19
確保できるようになり、そのエラーは犯罪や創造と呼ばれるに至った。
それでも、このエラーは行動レベルのものであるため、物理的身体が
SAIKAWA_Day19
寿命を延ばすための必須技術になるはずだ。
また、その世界においては、エラー摂取のソフトウェア的な実装である意識も
重要性が増すのかもしれない。
SAIKAWA_Day19
固定化した際のバックアップにはなるものの、物理的身体自体のエラー
には寄与しないことから、減数分裂と発生におけるエラーの取り入れも、
SAIKAWA_Day19
には寄与しないことから、減数分裂と発生におけるエラーの取り入れも、
現時点では相変わらず必要になっている。
SAIKAWA_Day19
というよりも、一つの生命の寿命が延びることにより、生殖段階での
エラー取り込み頻度が極端に落ちるため、生殖によらないエラー摂取は
寿命を延ばすための必須技術になるはずだ。
SAIKAWA_Day19
旧式のエラー侵入経路はもはや不要になる。
というよりも、一つの生命の寿命が延びることにより、生殖段階での
動きすぎてはいけない
理由付けは、抽象過程に理由律を取り入れることで、複製によらない身体への
エラー導入による固定化回避を可能にした。
それが上手く機能することで出来上がるのが器官なき身体なのではないかと思う。
動きすぎてはいけない
埋め込まれており、特徴抽出のために用いられる。
身体には、その複製過程においてさまざまなエラー導入手法が実装されることで
固定化回避が図られており、それも含め、身体を維持するには意味付けが最も
感覚への織り込み
このスピード感が、物理的身体によらない心理的身体レベルでの
エラー導入の強力さである。
視覚のシンボル化
言語に限らず、物を物として認識する、あるいは空間すら、
空間として認識するようになるまでに、トライアンドエラーを
繰り返して特徴抽出していく。
ゲンロン0
と述べたヒューマンエラーは、偶然の子どもや観光客によって
もたらされるだろうか。
体で覚える
現状では、言葉である程度の作業内容を伝えた上で、
後は人間が物理的身体を駆使してトライアンドエラーで
作業を複製する。
春の夜の夢
人間は、理由によって自然を人工に置き換えることで、
エラーの導入と適応のサイクルを高速化してきた。
このサイクルを駆動させるのが充足理由律であり、
人間の未来
崩すようないずれか一方への偏りを避けるのがよいと思う。
固定化への対策として、生殖や意識が実装されることでエラーが
導入されてきたのであれば、それをなくす方向に変化する場合には
人間の未来
導入されてきたのであれば、それをなくす方向に変化する場合には
別のエラー導入経路を実装しないとバランスが崩れるように思う。
恣意性の神話
ようにみられるが、ソフトウェアでは速度が速く、観点の違いが
通信エラーを生じ得ることで観点自体が顕現し、それが理由と
呼ばれているように思う。
青白く輝く月を見たか?
回路に生じたちょっとしたエラーによって、抽象過程
における排中律や無矛盾律が成立しなくなる。
青白く輝く月を見たか?
意識というソフトウェア的なエラー導入機構と、
生殖や発生というハードウェア的なエラー導入機構の
青白く輝く月を見たか?
生殖や発生というハードウェア的なエラー導入機構の
両方を備えていた人間は、マガタ博士によって後者を
都市と野生の思考
生命という秩序が更新し続けるためには、何かしらの仕組みで
つねにエラーを導入する必要がある。
都市と野生の思考
エラーが混入され得ない秩序は、死んでいるのと同じだ。
都市と野生の思考
固定化しようとする秩序に対してエラー導入という発散の
契機が存在し、発散する度に秩序の判断基準が更新される
演劇とは何か
それが固定化して集団が壊死することを防ぐには何らかの
エラーを導入する必要があるが、歴史性を免れたエラーの
導入は集団を瓦解させる。
人新世の哲学
心理的身体は理由付けの投機性によってエラーを導入する。
人新世の哲学
物理的身体が発生や生殖によってエラーを導入するように、
心理的身体は理由付けの投機性によってエラーを導入する。
人新世の哲学
判断基準の更新は、その時点ではエラーの導入にみえる。
物理的身体が発生や生殖によってエラーを導入するように、
人新世の哲学
理由付けによるエラー導入の多様化と高速化のために、
近代的な絶対時間では高々数十年から数百年の期間が、
人新世の哲学
エラー導入がますます加速する人新世は、それだけ多くの
脆さとともにある。
AI vs. 教科書が読めない子どもたち
人間による理由付けも、一種のエラー導入であり、バグ
であることには違いないが、コンセンサスをとる機構に
エラーと淘汰と再生産
なるほどね じゃあエラー発生率が高くなるほど
時間が速くなるとか あーでも淘汰の速さも同じ
エラーと淘汰と再生産
でもさ 環境の変化もエラーだと思えば やっぱり
エラーがないと時間は進まないんじゃないかな
エラーと淘汰と再生産
エラーがないと時間は進まないんじゃないかな
エラーと淘汰と再生産
突然変異みたいなエラーがなくなったら 生物は
進化しなくなると思うんだけど それって時間が
エラーと淘汰と再生産
かもね 突拍子もない発想に理由を付けて それを
共有する エラーと淘汰と再生産の高速回転だ
我々は人間なのか?
相互作用の途中で一時的に決まるものであり、
装飾や遊びがエラーとして発生することで、
相互作用は収束という死を免れることができる。
我々は人間なのか?
相互作用は収束という死を免れることができる。
エラーが引き起こす不確定性、不安定性が、
すなわち思考である。
我々は人間なのか?
「我々は人間なのか?」という問いは、
最大のエラー誘発装置となることで、
人間という過程、デザインという過程を
ある島の可能性
人物を複製し、生殖や発生の省略と〈至高のシスター〉
という基準によって徹底的にエラーを排除することで、
ネオ・ヒューマンは不死となる。
それでもデミアンは一人なのか?
エラーを導入することで局所的にエントロピィ増大に逆らっている状態のことを「生きている」と形容すれば、有性生殖sexual reproductionによるハードウェアレベルでのエラー導入が無限に遅延された世界では、生命が生きていく上で、ソフトウェアレベルでのエラー導入への依存度が高くなる。intellectual reproductionとでも呼ぶべきソフトなエラー導入は、現代でも既に言語や身振りなどの広い意味での記号を介したコミュニケーションによって行われているが、人間の頭脳以外の処理装置の特性も考慮した上で、それをより高速かつ高効率なものに、つまりよりハードなものに近づけようとする試みが、トランスファをベースにした共通思考なのだろう。デボラもグアトも、トラスファは皆、突然変異を引き起こすトリックスターであり、その突然変異が遺伝的浮動によって広がることで共通思考は変化し、熱的死を免れる。
現像と夢
目や耳といった知覚センサを通して受信できる情報は、世界のデータのほんの一側面に過ぎない。それにもかかわらず、その断片的な情報を元に神経系の上で深層学習を行い、世界を一つの立体的なものとして捉えられるのは驚異的な能力である。この断片から立体への創造的な統合のトライアンドエラーが夢なのだとすれば、現像行為もまた、まだ見ぬ世界の新しい姿を捉える手段として幅を広げていく可能性を大いに秘めているのだろう。
ウイルスの意味論
もちろん、免疫系のような内=自己と外=非自己を区別するホメオスタシスの仕組みによって、ある程度の個体性が維持されていなければ生命とはみなせないのだろうけど、ゲノムに記録された内在性レトロウイルスやファージの話を読んでいると、ウイルスと呼ばれているものは、天然のゲノム編集プロセスであり、減数分裂と同様に遺伝情報にエラーを導入することで、固定化に陥ることを防ぐトランジスタシスの仕組みのことなのではないかと思えてくる。