宝石の国
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アニメ「宝石の国」を観た。
「BLAME!」を観たときも思ったけど、3DCGを活用しつつ、
                    表現が単一の判断基準に沿ってしまうことを避けるのが
                    上手くなっているなと思う。
                    あからさまな単一の判断基準がない状態を、自然な表現と
                    感じるのだろう。
                    あと、足音をはじめとした、ものとものがぶつかるときの
                    音響や、フォスフォフィライトの演技がとても好きだった。
魂と肉がなくなった骨としての宝石は、精神と肉体の両方の
                    死から逃れており、バナナ型神話において、通常は片方しか
                    選択できない石とバナナの両方を選択した状態を思わせる。
                    宝石たちは、労働の苦役と出産の苦しみの二つのlabourから
                    解放された代わりに、何もしなくてもよい世界で何をするか
                    という試練に直面しているように思う。
何もしなくてよいというのは、如何にして行動をし続けるかを目指して 形成されてきた判断機構=意識に対する、究極の試練となるように思われる。
An At a NOA 2016-06-15 “労働価値のコンセンサス”
フォスフォフィライトやシンシャが新しい仕事を探すように、
                    死ななくなった(あるいは死ねなくなった)人間にとって、
                    仕事をすること自体が仕事をすることの最大の意味になる
                    未来もあり得なくはないだろう。
                    金剛先生という存在は、神、勤労の美徳、意識の価値といった、
                    疑わしいかもしれないが、疑わずにすがるべき対象として、
                    いつの時代もかたちを変えて存続するのかもしれない。
原作も読んでみよう。
p.s.
                    流星が飛来した回数も宝石の人数も完全数だ。
                    これも聖書から来ているのかもしれないけど。