近代日本一五〇年
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山本義隆「近代日本一五〇年」を読んだ。
明治、大正、昭和、平成の一五〇年を経て、日本
                    自体も、日本と他国の関係も大きく変わった。
                    それは、政治や軍事、科学などの各方面において、
                    何らかのイズムを押し通してきた結果だと言える。
                    イズムとは、判断基準を固定化して判断に徹する
                    ことであり、考えることをやめて分類に徹する
                    ことである。
                    ファシズム、共産主義、「合理性」への信仰など、
                    一真教的判断はイズムに陥るように思う。
よいも悪いも判断基準次第であるから、判断基準を
                    固定して「よい」方向に邁進すれば、短期間のうちに
                    「よい」状態に変化でき、それは「発展」と呼ばれる。
                    生命が更新される秩序であるからには、変化という
                    秩序の更新には、必ず解体される秩序という犠牲が
                    付随し、判断基準を固定化することによる発展は、
                    犠牲となる対象をも固定化してしまう。
                    個人にしろ国家にしろ、自身の変化に伴う犠牲をゼロ
                    にすることはできないし、少なからぬ犠牲のすべてを
                    把握することもできないように思うが、把握しようと
                    する視点が、判断基準の固定化の回避につながり得る
                    ように思う。
この一五〇年に対する山本義隆の視点も、その視点に
                    対する感想も、それぞれが一つの判断基準であり、
                    そこに拘泥してしまえばやはりイズムに陥るはずだ。
                    いろいろな判断があってよい。
                    それが日本として、あるいは人間として、分類するだけ
                    でなく考えることにつながる。
                    もはやこの一五〇年ほどの速度では発展しなくなるかも
                    しれないが、それでよいのではないかと思う。
                    意識があることで常に現在に対して不満を覚え、変化
                    しないではいられないのであれば、変化の仕方もまた
                    変化すればよいではないか。