多層的な類人猿
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建築雑誌11月号に載っている山極壽一へのインタビュー、
「類人猿とヒトから考える都市」を読んだ。
山極壽一は、家族と共同体という編成原理の異なる組織を
両立できたことに、ゴリラやチンパンジーと比べたときの
ヒトの特殊性を見出している。
「ゲンロン5」で平田オリザが演劇の起源として指摘して
いた話は、これを踏まえたものだろう。
多層的な類人猿として特徴付けられたヒトは、しかし、
単層的な類人猿へと向かいつつあり、ポピュリズム、
新自由主義、メシア信仰という「民主主義の内なる敵」は、
単層化の行き着く先である。
新自由主義的発想に基づいて建設される「タワマン」や
「ニュータウン」が、特定の年齢層や社会階層だけを含む
コミュニティの形成を促すという特集の主旨説明文の指摘は、
「すばらしい新世界」で描かれたアルファだけを集めた
キプロス島の実験を彷彿とさせる。
松岡正剛が「かわるがわる擬くこと」を勧め、東浩紀が
「観光客の哲学」を展開し、田中純が「波打ち際」と
表現したように、ヒトが多層的な類人猿であるために、
山極壽一は「二重生活」を提唱する。
それらはいずれも、複数の価値観があり得ることを許容
するだけでなく、複数の価値観が重なり合うことをよし
とすることによって、特定の判断基準に固定化することを
免れる。
複数の価値観を「join」ではなく「混ぜる」ことによって
多様性を捉えるのは、とても日本的だと思う。
もしかすると、日本人はdiversityではなくvariation として「多様性」を捉えた方がすんなり受け入れられる のかもしれない。
An At a NOA 2017-09-20 “variationとdiversity”
現状では技術的な問題で人間が移動する必要があるが、
触覚や嗅覚などに代表される通信上の制限がなくなれば、
情報と人間のどちらが移動しても本質的には同じである。
エネルギー的には情報が移動できるようにした方が省エネ
になるだろう。
いずれにせよ、異なる集団に実際に属することが、ヒト
らしく生きることにつながるということだ。
ひとつ言えることは、氷河と河川のいずれか 一方のみよりは、両方にいる機会がある方が 面白いのではないかということだ。
An At a NOA 2017-08-15 “氷河”