記憶の走査
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各抽象はネットワークのセンサ特性として残るだけなのに、 物事の前後関係が思い出せるのはなぜだろうか。
An At a NOA 2016-11-18 “思い出への補足”
と書いたが、そもそも、聞き覚えがある曲を思い出すような
記憶の走査自体、如何にして可能なのだろうか。
記憶領域の走査方法としては、switch-case文のような 一対一対応の検査ではなく、ビットの01を追っていく 絞り込みのような検査に近いはずだ。
An At a NOA 2016-01-26 “忘却の問1への回答”
時系列的な記憶というよりもスペクトルとして 把握しているということなのかもしれない。
An At a NOA 2016-02-26 “通信の数学的理論”
デジャヴュとジャメヴュの話は、同期化に伴うセンサ特性の変化が
これまでに経験されたか否かという判定を含み、一見変化内容の
履歴を保存しておく必要があるようにみえる。
しかし、それでは結局、スナップショットをとっておくのか
変更内容をとっておくのかの違いだけになってしまい、記憶=過去は
何か実在するものの貯蔵庫であるというモデルから抜け出せない。
例えば、ある時点での記憶と、その時点で施される同期化のそれぞれを
ベクトル表示し、その直交性によって当該同期化の新鮮さを表すことは
できるだろうか。
脳内にあるシナプスの数は10^14個のオーダーであり、仮にそれぞれが
二値の状態を取れるとしたら、脳全体だけでも2^(10^14)≒10^(3x10^13)個の
状態を取ることができる。
脳だけでなく、物理的身体全体でカウントすればさらに数が増えるはずだが、
残念ながら概算の個数もよくわからない。
あるいは、この話はシナプスでなく神経細胞の数で置き換えるべきかも
しれないが、それでも10^11個のオーダーである。
いずれにせよ、取り得る状態の数としては十分なように思われる。
記憶は貯蔵庫ではなく状態のことであり、適用される変化と現状との
直交性によって、これまでの履歴を走査するというモデルの落とし穴は
どこにあるだろうか。