Beyond the Limits of Reality


[tag: transl.]
A complete knowledge of the material world is hardly probable, therefore, the mistakes we make in departing from reality are of but little importance.
If revelations do not come true, it is not the fault of the prophet, the dynamic complexity of the world may change their realization on the way.
Common sense reposes within the limits of reality, but supreme intelligence travels beyond.
John D. Graham “System and Dialectics of Art” p.128

物質世界に関する完全な知識というのは ほとんど存在し得ないため、 現実を起点とすることで我々が犯す過ちは さほど重要ではない。
もし黙示録が現実のものとならないとしたら、 それは預言の誤りではなく、世界の動的複雑さの 現れ方が途中で変化することによるのだろう。
常識は現実の限界の内に安寧を求めるが、 卓抜した知性はその限界を超えていく。

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所与dataを情報informationへと抽象する際の 判断基準は、抽象する度に更新される。
更新されるうちに偏りを有するにようになった 判断基準のことを知識knowledgeと呼べば、 物理的身体というプロセスの上に構築される 知識のことを現実realityと呼んでいるのだ。

心理的身体という別のプロセスが駆動し、 別様の知識が構築可能になることで、 単一の知識の不完全性が露呈する。
あらゆる知識は、偶々現れる偏りであり、 元の世界の断片的な一面だけを現出させる。
現実もまたその例外ではない。

一方で、意味をつくり出すのは知識の偏りだ。
偏りのない知識は何も現出させない。
あるいは、現出とは、あまりに情報量の多い 世界に偏りを付与することである。
断片化されていない世界を、人間は処理する ことができないだろう。

限界は、檻であると同時に殻である。
あらゆる限界を放棄するのは、一つの限界の 内に留まるのと同じくらい死を招くだろう。
限界を超えては、別の限界をつくるという、 絶え間ない限界の更新のプロセスだけが、 生であるはずだ。