人はなぜ「音楽」をするのか?


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人はなぜ「音楽」をするのか?

発音における、言語と喃語。
発声における、音楽と言葉。
聴覚における、音楽と物音。
文章における、韻文と散文。
身振りにおける、舞踊と動作。
前者と後者を区別することには、 リズムと拍子を分けたクラーゲスの 精神に通ずるものがあるように思われる。

発音、発声、聴覚、文章、身振り的な 情報の流れの中に、何らかの構造が抽象 できたとき、その情報が前者として対象化 されるのであれば、クラーゲスの意味での リズム的なものは、抽象化一般に拡張する ことができる。

音のない世界にも「音楽」をみることを突き 詰めると、上記の組み合わせにおける前者、 すなわち抽象されたものすべてを「音楽」と 総称することができ、Musicは語源となった ムーサΜοῦσαの広がりを取り戻す。
「人はなぜ「音楽」をするのか?」という 問いは、「人はなぜ抽象するのか?」という 問いにつながり、「なぜ」自体もまた理由を 介した抽象の一つであることを思えば、最も 抽象的には「抽象化とは何なのか?」に行き 着くように思われる。

人間同士がコミュニケーションを取ることで 抽象の仕方を共有している様を「文化」と 呼べるのであれば、文化人類学とはまさに 「抽象化とは何なのか?」を考えることである。
抽象の仕方は、時代、場所、人によって異なり、 「今、ここ、私」にとって「音楽」でないものが 「音楽」であることにも、その逆にも、際限なく 出会い得るだろう。

そのそれぞれの「音楽」を楽しめるようでありたい。