グロテスクの系譜
[tag: book]
アンドレ・シャステル「グロテスクの系譜」を読んだ。
日本語の「グロい」は、「不気味な」を通り越して
                    「残虐な」の意味でのみ使われることが多くなったが、
                    「名づけえざる装飾」としての「グロテスク」は、
                    カイザー的な「不気味」とバフチン的な「笑い」の
                    両面を併せもつ「不気味な笑い」そのものであり、
                    既存の判断基準に基づく一義的な把握からは
                    常にこぼれ落ちてしまう類のものである。
何が「グロテスク」かという分類の試みは、
                    何が「笑い」かという分類と同じように失敗する
                    運命にあり、ベルクソンの「笑い」のように、
                    それはどのような過程として現れるかという視点で
                    捉えるのがよいのだと思う。
グロテスクは、笑い、遊び、擬、俳諧化と同じく、
                    判断基準の変化をもたらすことで集団を壊死から救う。
                    それらはすべて、常に大なり小なり起こっている
                    逸脱や飛躍の残像であるが、影響が小さすぎて
                    判断基準の変化を促せなかったものや、影響が
                    大きすぎて集団を瓦解させてしまったものの
                    中間にあった逸脱や飛躍だけが、心地よいもの
                    といった理由付けで語られ、つなぎとめられる
                    ことによって、歴史に残っていくのだろう。