理学と工学
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意味付けに基づく無意識は、端的に特徴抽出であるが故に、 理屈による理解とは無関係、一定のエラーが避けられない、 等の特徴を有しており、それは理学よりも工学に似ている。
逆に、理由付けに基づく意識は理学に近いとも言える。
An At a NOA 2016-07-31 “工学的”
理学が、公理という前提とそこから演繹される体系を重視し、
可能な限りデジューレ・スタンダードに留まりながら、
デファクト・スタンダードによる抽象を「予想」や「仮説」
と呼んで区別するのに対し、工学では比較的デファクト・
スタンダードの比率が大きく、デジューレ・スタンダードと
デファクト・スタンダードの区別も曖昧なように思う。
もちろん、理学と工学という区別自体、割と新しいもの
だと思うので、私見による大雑把な比較でしかなく、
どこにどういった線引きをするかだけである。
ものづくりを全くしないのに理論に明るい状態と、
理論は全く知らないのに優れたものを作る状態の間に、
理学者、工学者、設計者、技術者、職人といった、
いろいろな「専門家」の括りがあるだけである。
どのような「専門家」として括られるにせよ、どのように
抽象しているかについて、より明確でありたい。
その明確化はまた一つの理由付けであらざるを得ないが、
それが意識のわがまま、本来の意味でのエゴイズムなの
ではないかと思う。