模倣犯
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強制わいせつ容疑の男「漫画を真似」 県警、作者に異例の申し入れ
漫画に影響された模倣犯について、警察から当該漫画の
作者に注意喚起を促すよう申し入れがあったという話。
作者がtwitterで言うには、もっと和やかな雰囲気
だったようだが、それでも表現規制につながると
危惧する指摘をみかける。
表現の自由の裏側には表現の責任が伴って然るべき
だと思うのだが、「表現規制につながる」という
指摘では自由の話ばかりがされ、責任の話には
ほとんど触れられないように感じる。
このあたり、どう考えているのだろうか。
表現の自由に限らず、あらゆる自由には責任が伴う。
より精確には、責任を問いたいがために自由が想定される。
裏に、問う必要がない責任については、自由が想定されない、 という命題もまた、この一件の報道を見ていると真だと感じられる。
An At a NOA 2016-09-05 “表現の自由”
例えば、シャルリー・エブドの風刺画と今回の漫画を
比較したとき、何がよくて何がダメかという一線を、
整合するかたちで引けるだろうか。
表現者も作品も閲覧者のいずれも、それ単体で存在
することはなく、これらの関係が成立することで
はじめて表現者や作品や閲覧者になるわけだから、
表現者の特性、作品の内容、閲覧者の範囲それぞれを
独立に規制することにはあまり意味がない。
このことを踏まえると、画一的かつ整合的に良し悪しを
規定することはあまりに困難であり、それは意識をもった
人間にとってcorrectであるのが難しいことを反映している
ように思う。
だからこそ、人間は必ずしもcorrectではない判断を 共有するために、rightというコンセンサスに基づく 基準を採用するのだろう。
An At a NOA 2016-11-15 “correctであり続けるのは難しい”
「技術の道徳化」では、設計者(作者)は、技術(漫画)の
意図しない利用(模倣犯)を想定し、それに対策を講じるのが
よいとされる。
技術によって複製された抽象過程に対する責任の話を置き去り
にして技術を行使することは、ネットワークの発達によって
国家の影響が薄れていく時代には無理があるのだろう。
自由を謳歌したいのであれば、集団の巨大さに頼らず、 自らに責任を回収するのがよい。
An At a NOA 2017-05-12 “自由と集団”