人間はなぜ歌うのか?
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ジョーゼフ・ジョルダーニア「人間はなぜ歌うのか?」
を読んだ。
ポリフォニーの方がモノフォニーよりも先に生まれた
という、一般的な音楽理論とは異なる仮説が提示される
ことで、一気に興味がそそられる。
第一部でポリフォニーの形態や分布について述べられて
いる段階ではまだ半信半疑なのだが、第二部になって、
音楽の起源、意識の起源、人間の起源まで含むかたちで
仮説が展開されると、あり得るというよりもかなりの
整合性をもった仮説のように感じられてくる。
地上に住んでいながら歌う唯一の種、それが人間なのである。
ジョーゼフ・ジョルダーニア「人間はなぜ歌うのか?」p.137
人間とチンパンジーの共通祖先が樹上から地上に降りたとき、
チンパンジーは沈黙し、人間は歌い続けた。
それは防御戦略として「隠蔽擬態」をとるか「警告擬態」を
とるかの違いであり、人間は後者を選択し、聴覚−視覚−嗅覚−
威嚇誇示(AVOID)を用いる戦略をとった。
その聴覚的要素が歌唱であり、集団の団結を強めるとともに、
肉食獣への威嚇として機能した。
それはまだ歌詞やバスパートをほとんどもたないが、体や道具を
使って正確に刻まれるリズムと踊り、そして鋭い不協和音に
よって構成される「原初のポリフォニー」である。
これはまだ音楽でも言語でもなく、両者の共通祖先とみなせる。
そこに質問を発する能力が加わり、人間は閉鎖系から開放系へと
移行したが、世界中の言語に質問抑揚がみられることは、この
能力がかなり古く誕生したことを示唆している。
さらに分節化した発話が行えるようになることで、言語がより
言語らしくなっていくと同時に、歌唱能力が失われ、音楽活動は
演奏家と聴衆に分かれて行われるようになっていき、モノフォニー
という形式が生まれる。
これは世界各地で異なるタイミングで生じたと考えられ、
先行して分節化した地域では、現代において発話障害の数が少なく、
ポリフォニーよりもモノフォニーが支配的になる。
時代が下り、職業音楽家がポリフォニーを理論化した後になって、
モノフォニー→ポリフォニーという順序のストーリィが作られたが、
より原初的な形態はポリフォニーの方であった。
上記の仮説には検証すべきこともまだまだ多いと思うが、一つの
系統樹思考としてとても興味深い。
AVOIDの視覚的、嗅覚的要素についても述べられていることから、
関係する分野は非常に多岐にわたっており、序に列挙されている
ような多くの質問に加え、これからもさらに多くの質問を生み出す
ことができるだろう。
横隔膜や声帯、共鳴腔の発達はどの段階で生じ、何の引き金に
なったのだろうか。
An At a NOA 2017-05-12 “音楽と言葉5”
質問する能力は充足理由律への信仰と概ね同一視できるだろうか。
An At a NOA 2017-05-10 “比較可能律あるいは樹状律と充足理由律”
なぜ、そしていつ、短調が悲しく聞こえるようになったのか。
An At a NOA 2017-05-10 “短調の悲しみ”
質問は尽きない。
著者も言うように、
われわれは限りなく質問を問い続ける種なのである。
同p.214