芸術人類学講義


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鶴岡真弓編「芸術人類学講義」を読んだ。

ありのままの環境は、生身の人類にとって益にも害にもなり得るような、種々雑多な情報の流れである。恩恵をもたらす一方で、時に苛烈でもある情報の流れから、少しでも多くの益を貰い受け、少しでも多くの害を避けようと試み続けた結果、人類は数多の生命の中で最も環境を制御できるようになった。己のために環境を巧みに破壊・創造することが、あらゆる人間活動の根底にあるように思う。その最たるものが言語であり、周囲に溢れる大容量の情報を次々とコンパクトな視聴覚情報に圧縮することで、見かけの処理能力は飛躍的に増大する。しかし、圧縮率を高めれば効率はよくなるものの、その過程で失われる情報も多くなる。津波という情報そのものに遭遇してしまえば、飲み込まれて生命を落とすかもしれないが、津波を伝える言葉は圧縮され過ぎていて、その凄惨さを表現し切れないこともままある。

本書で扱われる、「祈り」、宗教、「象」、装飾、芸術、といったものも、苛烈な環境から一部の情報を取り出すプロセスとして始まったのではないかと想像する。環境という情報の流れが本来もつ一筋縄にはいかない様を、なるべくぶった切らないように掬い取るような抽象化。ありきたりな分節化では失われてしまう情報を保存するようなデジタイズ。自然に手を差し伸べる方法としての芸術というのは、そのあたりのことを言っているのではないかと思う。