「シェルパ」と道の人類学


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古川不可知「「シェルパ」と道の人類学」を読んだ。

自然科学にせよ人文科学にせよ、近代以降の学問は、普遍かつ不変に適用可能なモデルを見つけることを旨として発展してきた節がある。船や羅針盤を得て行動範囲が広がり、接する場所や人のバリエーションが豊かになることで、中世に比べると格段に撹拌された情報の流れの中において、共同体が一つの個として存続するためには、普遍かつ不変なモデルを共有することが有用だったのだろう。インゴルドの天候―世界モデルにおけるSKYとEARTHの流れに曝された人間の位置に、西洋共同体がいたのだ。自由度が低いけれども圧縮率の高いモデルを用いて、まずは情報の強烈な流れを大雑把に捉えるところから始まり、モデルの自由度を高めながら徐々に解像度を上げていく過程が、近代以降の学問の発展であった。その中途で、後から振り返れば過ちであった差別や偏見も生んできたが、その教訓も反省として取り込みつつ、近代西洋の学問の流れはガリレオから数えても400年近く続いている。

本書における、道や「シェルパ」といった対象の融解と再結晶も、モデルの自由度の向上による学問の発展の一例として捉えることができるように思う。なるべく普遍かつ不変なままモデルの自由度を向上させる融解の過程(「常に変動する環境において一時的に取り持たれるアレンジメントとして立ち現れる事物」)と、地域や身体といった極めて局所的な実践を基にモデルを具体化する再結晶の過程(「ロープや積み石が道になったり、職業によってシェルパになるという事例」)。名づけによる対象化とは、この融解と再結晶のことである。再結晶によって得られるモデルは、もはや普遍でも不変でもなく、極めてローカルなものであるが、融解したモデルの妥当性を裏打ちするものとなる。雪崩、土砂崩れ、霧などの流れに影響されつつ、個々の身体感覚に応じてその都度立ち現れる「道」と、西洋文明の大きな流れに影響されつつ、労働形態や旅行者に応じてその都度立ち現れる「シェルパ」。融解したモデルが、山中の「道」を歩むことと「シェルパ」としての人生を歩むことの同型性を示す経糸になっているのが、とてもよい軸になっていると思う。