理解・意味・知識・科学


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高次元科学への誘い

理解:
そのまま処理するにはあまりに膨大なデータを圧縮し、データサイズを小さくすること。経験や認識もデータ圧縮プロセスであるが、意識的な理由付けを伴うものが理解understandingだと言える。

意味:
高次元空間に分布しているデータが、その中にある低次元多様体上に偏って分布していると近似的にみなすことで、データサイズが小さくなる。低次元多様体というかたちformを与えることによる、データdataから情報informationへの抽象化。意味meaningとは、データの偏りでも低次元多様体でもなく、データの偏りを低次元多様体へと写像する進行形のプロセスである。

知識:
データをどのように圧縮するかについての判断基準。どのようなデータの振る舞いを一つの塊とみなすか、という同一視の基準。商集合をつくる際の同値関係。理解のプロセスにおける基準を知識knowledgeと呼ぶ。判断基準は、抽象するたびに更新される。

科学:
共通する経験を理解することによる知識の更新。ハードウェア的なデータ圧縮を、意識によるソフトウェア的なデータ圧縮でなぞる試み(科学が試みであることを忘れて、知識の更新が滞ってしまったら、それは似非科学と非難されてもしょうがない)。ハードとソフトの区別は、判断基準更新の緩急に対応する。意識に比べて相対的にハードであるほど自然科学として扱われるようになる。人間の集団もまた、大きくなるほど慣性を増し、ハードになっていくが、文化、言語、宗教、経済といった人間の集団がみせるみせる振る舞いは、意識に比べてそれほどハードでないことも多いようで、人文科学として扱われる(ある時点での集団の振る舞いを固定的なものとみなすことで、人文科学を自然科学に近付けることに成功したのが、構造主義なのだろう)。

このところ考えているこういったことを踏まえて、冒頭のリンク先の記事を読む。

意識による「理解」というのは、かなり圧縮率の高い抽象過程だと思われる。圧縮率の高さは、小さい容量でより多くのデータを処理する上では利点になる一方で、圧縮率の低い別のプロセスをなぞる上では自由度の不足という欠点にもなる。

この欠点は人間に認知限界をもたらすが、深層学習によって容量の問題が解決するなら、「理解」をより圧縮率の低いプロセスで置き換えることで、認知限界を乗り越えることができる。これが科学の高次元化の肝だと思うが、以前書いたように、深層学習には専門分化と構造的な共通点があり、高次元科学は専門分化と同じような利点と欠点を備えているように思う。
An At a NOA 2017-09-15 “専門分化
An At a NOA 2018-11-26 “専門家と機械学習

専門分野への切り分けと、複数の意識のクラスタ化によって、経験を理解する際の自由度不足の解消と知識更新の高効率化を図ったのが専門分化であるが、その際、専門分野が互いに素であることと、扱われる経験が同一であることは、暗黙のうちに前提される。専門分化によって、利点と表裏一体だった欠点を解消することで、集団としての「理解」可能性が高まる反面、単一の意識による「理解」は次第に難しくなっていく。「理解」と経験に齟齬があるたびに知識を更新するプロセスが高速化し、単一の意識では不可能なまでに集団としての「理解」可能性を高められたとしても、個々の意識による「理解」が難しい中で、齟齬による損害をどのように受け入れるかは別問題として残る。責任という概念をつくり出すことでこのギャップを和らげているものの、綻びは至るところで見受けられてきたように思う。その綻びは、標語的には「安全と安心の乖離」と表現できる。

より精確な近似への欲求と、より簡潔な近似への欲求というアンビヴァレンス。どちらに振れても意識は不要になるだろう。世界をより精確に経験しようとした意識が、その果てに意識の消失に辿り着くという物語は面白いが、それを面白がる意識でありたいと、我は思う。