デカルトとパスカル


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ポール・ヴァレリー「デカルト」「『パンセ』 の一句をめぐる変奏」を読んだ。

一個の「わたし」によるクーデタcoup d'éÉtat。
自然という多様な現象に溢れた国Étatに対し、 「わたし」が果敢に加える一撃coupこそ、 精神、意識、思考、投機的短絡であり、 デカルトが「方法」と呼んだものだ。

肉体がなくなったとしても、一撃一撃の積み 重なりに対して、他人から多様な一撃が加え られることによって、その人は生き続ける。
本当に死ぬのは、加えられる一撃が固定化 してしまったときだ。

「説得」という行為は、それをする精神の 能力が大きければ大きいほど、まわりの 精神を殺してしまうものであり、生きた エゴティズムに関心を寄せるヴァレリーに とっては、パスカルほどの能力を有する精神が 「パンセ」で垣間見せるデマゴーグ的側面が、 受け入れ難いものだったのだと思われる。

生きたエゴティズムの戯れ。
デカルト観、パスカル観、ヴァレリー観もまた、 各々が一個の「わたし」として思考し続ければ よいだけのことだ。

そのような一個の「わたし」でありたいし、 そのような一個の「わたし」にあいたい。