聴覚AR


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スピーカとヘッドホンでは、音空間の再現の仕方が異なる。
スピーカの作る空間は、聴く人間の位置や向きの影響を 受けない固定された座標系をもつのに対し、ヘッドホンは これらの影響を受けて移動と回転が生じる座標系をもつ。
聴覚VRとはつまり、スピーカ的な音空間の座標系を ヘッドホンで再現する技術である。

スピーカとヘッドホンでもうひとつ異なるのは、音空間の 共有の仕方だ。
スピーカがその場にいる人間に対して否応なく音空間の 共有を強制するのに対し、ヘッドホンは基本的にはそれを 装着した人間一人のための音空間を用意する。
スピーカ的な音空間の共有をヘッドホンで再現する技術は、 聴覚VRよりも聴覚ARに近い。

音空間を共有するにはヘッドホン間で音源の位置を同期 させる必要があるが、両耳間のわずか20cm余りの間隔で 音源からの距離差を測定しないといけないので、音源と 各耳の三点に置いたデバイス間での通信にしないと、 十分な精度が得られないかもしれない。

美術館での展示品の解説のように、大人数が集まる空間 において、音源の位置が移動しない音を個々の人間に 別々に聴かせるものは、聴覚ARと相性がよい。
あるいは、待ち合わせ相手だけに聴こえる声を、声の する方向を指定して送るというのも、聴覚ARならでは になり得ると思う。
電話やチャットでは再現できないし、同じ機能を視覚 ARで実装しようと思ったら、草食動物のような目が 作る視空間に慣れる必要があるはずだ。
(それはそれで面白い視覚体験になるが)

各々が別々の音空間に閉じこもる状況を普及させたのは ウォークマンだと思うが、聴覚ARによって、選択的に 音空間を共有する状況が生まれる。
この物理的な制約以外による選択的な共有というのが、 ARをRealityやVRから隔てるaugmentの本質だと思う。
(以前、言語は一種のVRであると書いたことがあるが、 むしろ言語は一種のARである)

選択的共有であることによって、ARは常に不気味さを 背負う運命にあり、全員がaugmentされない限り、 その不気味さは消えないのだろう。

augmentされていない人には見えない何かが 見えている人達が集まることは、それ自体が脅威に なり得るだろうか。
An At a NOA 2016-07-29 “augmented