科学
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それが受け入れられるように人間が変わるのであれば、 人間は近代からの脱却に成功したと言えるだろうし、 そのときには意識ももはや不要になるだろう。
An At a NOA 2017-03-01 “予知”
scienceの語源をたどると、*skei-(to split)に行き着く。
近代科学にとっての理解とは、より単純な、より細かい
モデルへの切り分けである。
無限に細分化することはできないため、ある段階での
モデルを公理として受け容れる他なく、それは端的に
言えば信仰であるが、信仰せざるを得ない対象を可能な
限り小さくし続けることが、理解という過程を通した
近代科学の計画だったと言えるだろう。
意識にとっての理解を目指す限り、科学はいつまでも
近代科学であり続ける。
一方で、深層学習等によって、理由を介さずに生成された
判断機構は、意識にとっての理解とは無関係に存在し得る。
それは一種の自然である。
自然を人工化することを諦め、自然を自然化することが
当たり前になったとき、ようやく近代が終わる。
科学の時代にも宗教が残ったように、新たな時代にも
科学は残るだろうが、それは最早、意識にとっての
気休めでしかないことが前提とされる科学である。
宗教、科学に続く、新たな時代にとっての理解の仕組みは、
何と呼ばれるだろうか。
無意識、意識に続く抽象過程を司る装置が、大脳新皮質の
さらに外側を覆っているだろうか。
無神論者に続いて、無真論者は現れているだろうか。
新たな時代の人間よ、 ゴーストは囁いてゐるか