内田祥哉 窓と建築ゼミナール
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「内田祥哉 窓と建築ゼミナール」を読んだ。
内田先生はビルディングエレメント論という判断基準を軸に、
                    建築構法という分野を切り拓いた。
一つの分野を切り拓くというのは並大抵のことではない。
                    未分化のものを分化させるための判断基準を設定し、
                    筋の通った理論展開によって、その判断基準を広く
                    共有できるものへと発展させる困難は幾許のものか。
                    それが共有されるには、理論だけではなく、感覚に
                    訴えるだけの強さも必要とされるはずだ。
意識だけでつくったものは無意識には訴えないし、 無意識だけでつくったものは意識には訴えない。
An At a NOA 2018-01-12 “二重”
内田先生は研究者であると同時に建築家であり、
                    考えながら語る一方で、感じながら示してきたのだ。
                    ご自身の経験を楽しげに語る文章を読みながら、
                    そんなことに思いを致した。
ビルディングエレメント論では、建築を屋根や壁と
                    いったエレメントに分化させ、それが統合したもの
                    として建築を捉える。
                    エレメントは、それぞれが情報を抽象するフィルタ
                    であり、情報の差によって表と裏を生み出す面的な
                    ものとしてイメージされる。
                    柱や梁、配線といった線的なものが、エレメントと
                    して捉えづらいのは、これらが何もフィルタしない
                    からなのではないかと思う。
線的なものは、何かを集約している。
                    そこには情報の差はなく、表と裏の代わりに、
                    始端と終端を生み出す。
                    屋根に降った雨水という面的な情報が、樋によって
                    線的な情報に集約され、地面に吸収されることで
                    再び面的な情報へ戻る。
                    鉛直荷重が、柱や梁に集約され、接地圧へ戻る。
                    効率が悪い面的な情報伝達の集約化によって現れる
                    線的な情報伝達経路。
                    フィルタすることのできない情報を効率的に伝達する
                    ためのエレメントとして、ビルディングエレメント論
                    の中に線的なものを位置付けることはできないだろうか。