性善説と性悪説
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性善説は固定化の傾向に着目し、性悪説は発散の傾向に着目する。
そして道徳論に留まる限りにおいて、両者はいずれも、最終的には固定化を促すことになる。
道徳というのは、抽象過程の破綻を避けるための、発散する特性を制御する枠組みだと言える。
An At a NOA 2017-06-10 “技術の道徳化”
「性」は「人間の本性」と説明されるが、むしろ固定化と発散という集団としての本性のことだと思われる。
集団なしには固定化も発散もし得ないので、政治哲学で言うところの自然状態における「性」についての議論は意味をなさない。