島というユートピア
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「すばらしい新世界」の光文社版には、1946年の新版に
                    合わせてハクスリーが書いた前書きがついており、
                    他にも、植松靖夫による解説や年譜が充実している。
前書きの中でハクスリーは、出版から15年経った今
                    新しく書くのであれば、ジョンに第三の選択肢を
                    与えると述べている。
                    その第三の選択肢は、
理由の不在としての自然と一意的な理由の存在としての人工の狭間に 、 都合のいいニッチとして意識の居場所が設定できるだろうか。
An At a NOA 2017-01-18 “AIと理由”
で触れた「都合のいいニッチ」に対応するだろうか。
いずれにせよ、ハクスリーは何かしらディストピアからの
                    抜け道を示す方向へ志向しているように感じられる。
                    それは、バーナードやヘルムホルツが島へ行くことにした
                    ことにも表れているし、晩年にまさしく「島」という題で
                    ユートピア小説を著していることにも対応していると思う。
ハヤカワの新訳版で、大森望は御冷ミァハをジョンの後継者と
                    呼んでいるが、無理を承知で対比すれば、ベータに所属するであろう
                    零下堂キアンや、バーナードやヘルムホルツになりたくて
                    ムスタファ・モンドに甘んじていた霧慧トァンを含め、この世の
                    すべてを道連れにして、ジョンである御冷ミァハが永遠のソーマの
                    休日を成就させたのが「ハーモニー」だと言えるだろう。
そこには、「すばらしい新世界」の島にあたる抜け道はない。
                    真実や美よりもしあわせを選んだ文明も、皆がWatchMeをつけた
                    生命主義社会も圧倒するほどの理由の一意性が成立した状態を描くことで、
                    伊藤計劃は究極のディストピア兼ユートピアを示したと思っているが、
                    果たしてハクスリーは「島」をどのように書いたのだろうか。
ということで、「島」の邦訳版を買ってみた。
                    「すばらしい新世界」以外の新訳も出してくれないだろうか。