ゴーストの実在性についての覚書
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「絞首台の黙示録」のときに書いたゴーストの
                    実在性について。
物理的身体の完全な複製が行えれば、オリジナルと
                    コピーの差分は存在しない。
                    むしろ、差分が存在しないことが完全な複製の
                    要件である。
                    その際にゴーストが失われるように見えるとすれば、
                    それは見る側に存在していたものである。
意識は、入力される情報に秩序が先行して内在されて
                    いるのを感じるとき、そこに理由をみてしまう。
                    それは神の意思かもしれないし、他者の意識かもしれない。
                    あるいは、自らの意識の可能性もある。
理由律に絡め取られたセンサは、原因を求めて彷徨い歩く。
それは、神、他者あるいは自己に出会っただろうか。
An At a NOA 2016-07-23 “ウロボロス”
物理的身体の複製によって情報が入力される回路が
                    分離されると、コピー先の心理的身体で別の抽象が
                    行われることになり、これは、コピー元の心理的身体
                    にとっては、外部での秩序形成に相当する。
                    コピーされた当人は、秩序が外部化されることで、
                    コピー先の抽象機関は他者に感じられるだろう。
                    それ以外の人間にとっては、コピーされた時点では
                    両者に違いがないものの、抽象による変化の蓄積
                    としての記憶=過去が複数系統に分かれることで、
                    別の人物へと分離したように感じられるだろう。
                    しかし、オリジナルとコピーの、どちらかにゴーストが
                    存在し、もう一方には存在しないとするのは、受け手側の
                    都合でしかない。
                    受け手の意識内で、片方がコピーされたものだという
                    知識が織り込まれることで、その受け手にとっては
                    ゴーストの複製が失敗することになる。
                    攻殻機動隊では、ゴーストダビングの過程でオリジナルの
                    ゴーストが失われる問題が描かれたが、それはつまり、
                    オリジナルではなくコピーにゴーストを見ることによる、
                    受け手側でのオリジナルからのゴーストの奪取である。
物理的身体と心理的身体はいずれもセンサ特性を有し、
                    それによって個が特徴付けられる。
                    同一のセンサ特性を共有するのであれば、物理的身体や
                    心理的身体が単数だろうが複数だろうが、一人の人間で
                    あり続けられるだろう。
                    臓器移植のような、物理的身体と心理的身体の依存性の問題は、
                    センサ特性の一致度を担保することで、ぎりぎりのところまで
                    分離する方向に進むのかもしれない。
AIは抽象機関そのものをつくることでゴーストを立ち上げ
                    ようとするが、外部に抽象機関を挿入するという点では、
                    VRもまた、一種のゴーストダビング装置なのかもしれない。