相関と因果について考える
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相関と因果について考える: 統計的因果推論、その(不)可能性の中心
以前、“相関と因果”という記事を書いたが、基本的には
この考えは変わっていなくて、因果とは、理由付けされた
相関のことである、くらいにしか思っていない。
だからといってそれは軽視できるものではなく、むしろ、
相関と因果を峻別することは理由律の解明にも通ずるので
かなり重要なことである。
ヒュームの言う、「心の習慣」としての因果というのは、
理由付けされて習慣になったものを因果と呼ぶという
定義を示している点ではよいのだが、そこから先に
如何にして進むか、あるいは進むことなどできるのか、
ということには興味が尽きない。
因果ダイアグラムなるものが描けるという想定の中に
既に理由律が入っているが、その枠組みで理由律を
解明できるのだろうか。
それはそうと、因果ダイアグラムにおいて「共通要因」なる
項が挿入されるところは、沈黙が内緒になる話を思い出した。