人間らしさ


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科学未来館で機械人間オルタの展示を見てきた。
期待したほどではなかったというのが正直なところだ。

人間らしさは、無意識と意識のどちらから生まれるか。
オルタの問題設定は、それが無意識なのではないかという考えに あると思われる。
しかし、意識的な抑制を欠くその動きは、ひたすらに落ち着きがなく、 強いて言えば赤ん坊のそれに近い。ただ、赤ん坊でも外部情報を 受け取るセンサは備えているので、動きは必ずフィードバックの 影響を受ける。
オルタにはまるでそれが感じられない。たとえ視覚や聴覚のセンサを 積んでいたとしても、とてもそれを統合しているようには見えず、 現実を構成できていない。目を始め、あらゆる動きが虚ろなのだ。

意識的な動きだけでは、EX_MACHINAでアリシア・ヴィキャンデルや ソノヤ・ミズノが演じた機械のようにしかならないし、無意識的な動き だけでは、オルタのように落ち着きのないものにしかならない。
無意識的な動きの意識的な抑制が人間らしさの条件になると思う。
さらに、それがその場にいる感覚は、自分と同じ情報を受け取っている という感覚に支えられる。これがない限り、たとえ物理的にその場にいて 人間らしい動きをしていても、別世界にいるようにしか見えないだろう。
幻覚を見ている人間のようであると言ってもよい。
少なくともこれら2点が改良されない限り、その場にいる人間らしさは 出ないように思う。

ついでに久々に常設展を見てきた。
今年の4月にリニューアルされたらしく、結構変わっていた。
小中学生へのアピールという側面が強いせいか、科学は判断のために あるという感じが全面に出ていたように思う。理由付けの大本には判断が あるので、それはそれでよいのだが、知識を得ることそれ自体の喜びという、 より贅沢な視点が控えめなのは、仕方がないだろうか。

帰りがけ、ゆりかもめで新橋に向かう途中、そう言えば海ほたるって近いんだっけ と思ったが、全然遠かった。どうも、お台場と海ほたるのイメージが重なるのだが、 単にフジテレビの移転と海ほたるの竣工の時期が近いだけだったようだ。
そして新橋に近づき、新幹線や在来線が走る様子をゆりかもめから見下ろす。
どちらもシン・ゴジラを想起させ、何だか複雑な気分になった。