カンデル神経科学第1章
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第1章「脳と行動」は、脳機能と行動の関係についての
                    2つの立場に関する、歴史的経緯を含めた記述が中心である。
脳機能全体論と脳機能局在論の対立において、前者は宗教等
                    との親和性も高く、受け入れられやすかった。
                    19世紀半ば以降、ブローカ、ウェルニッケ等によって、実験的に
                    全体論が批判されることで、局在論が支持されるようになる。
                    これはコネクショニズムとも呼ばれており、局在した各機能の
                    相互作用によってあらゆる脳機能が発揮されているという見方だ。
1950年頃まで全体論が優勢だったようだが、PETやfMRIの
                    登場により、生きた人間で実験ができるようになったことで、
                    今では局在論の方が優勢のようだ。
局在論という名前よりもコネクショニズムという名前の方が適切
                    かもしれない。機能が局在していることよりも、それらが連携している
                    ことの方が重要だと考えられる。
                    機能の局在化はおそらく実装上の都合だ。ボルツマンマシンを
                    構成するにあたって、回路全体を使わずに、一部だけで処理を
                    完結できるようにしておくのは、効率面で有利である。
                    ローカルネットワーク+グローバルネットワークと同じ構成だ。
図1-6に、言語を認識するだけで大脳皮質が活性化される様子を
                    表したPETの画像があるが、言語処理の領域だけでなく、認知や
                    抽象的表現を司る前頭皮質も活性化されているらしい。
                    これは、言語がVR装置として働いていることの傍証になるだろうか。
図1-7で、バイリンガルが第2言語を獲得したのが早期か後期かに
                    よって、第2言語の言語処理に使用される領域が異なるというfMRIの
                    画像が示されている。早期の場合、母語と第2言語でブローカ野の
                    同一領域が活性化されているが、後期の場合は隣接した領域が
                    活性化されており、母語と第2言語で違う回路を使用していることがわかる。
                    伊藤計劃のハーモニーにおいて、ミァハが後天的に意識をエミュレート
                    するようになった話が思い出される。
本来、神経系全体と脳はヒエラルキーがあるわけではなく、それらが
                    ある意味全体としてはたらいた結果が無意識や意識だと考えている。
                    脳はボルツマンマシンとしての情報処理回路が集中しているだけで、
                    神経系を含めた全体を一つのセンサとみなすのがよいのだろう。
                    実装効率の問題で、脳内の回路の各領域が特定の機能に対応しているという
                    点では、コネクショニズムの見方も妥当だが、全体を部分に切り分けたがる
                    近代の性格を如実に反映しているように思う。