攻殻VR
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I.G.ストアで攻殻機動隊VIRTUAL REALITY DIVERを体験してきた。
先日の東京大学制作展に続き、2回目のHMD型VR体験であった。
今回はヘッドホンも装着したので視覚+聴覚だが、
聴覚VRの方は先日書いたような耳の移動に伴う補正が行われないので、
360°なのは視覚だけだ。
映像作品としては面白い。
現実感としてはまだまだこれからといったところだ。
映像作品の新しいあり方として見ると、作り手側はこれまで以上に
人称を意識しないといけないだろうな、ということを思った。
頭と連動して視野が変わるのはいいのだが、果たして
一人称なのか三人称なのか、あるいはいずれでもないのか。
どう見せたいのかがぼやけているように感じる。
しかし、三人称的な描き方などそもそも可能だろうか。
センサとして情報を受け取る行為、および意味付けや理由付けが、
不可避的に「今、ここ、私」を生み出してしまうのであれば、
常に一人称から逃れられない。
三人称で書かれた小説は如何にしてこの問題から逃れているだろう。
あるいは逃れているように見えて逃れられていないのだろうか。
2016-07-14 追記
フィクションには「第四の壁」という概念がある。
これを破らない限り、受け取り手は「私」以外になり得る。感情移入というやつだ。
しかし、「第四の壁」が破られた瞬間、受け取り手は「私」であることを
強制され始める。
小説や舞台等の既往の芸術において、「第四の壁」は個々の演出によって
破られてきたが、視覚VRにおいては、全方位の映像を用意し、頭部の動きと
映像を同期させるという手法全体で「第四の壁」を迷彩化している。
攻殻のVRでも、ところどころで強制的な視点の移動が生じるのだが、
その瞬間には「私」であることをやめられるように感じた。
「第四の壁」を巧みに出したり消したりすることで、人称を自由に操作するところに、
現実感の追求とは違った視覚VRの面白みがあるのかもしれない。