音楽と言葉3


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音楽と言葉 音楽と言葉2

音楽とは、コミュニケーションのための振動を伴う動作である。
振動のパターンと伝達される内容を結びつけることでコミュニケーションが 可能になっているが、振動パターンと伝達内容のいずれも、 固定度は低いように思う。
つまり、送信側はある程度の幅をもった振動パターンを用いることが できるし、受信側はある程度の幅をもった内容を受け取ることができる。

言葉にももちろんそういった側面があるが、音楽に比べると 固定度が高い。クラスタリングの仕方がはっきりしている。
画像処理で言えばポスタリゼーションをかけた状態に近い。
同じ言葉でも意味にはぶれがあるし、時代や場所毎に変化するものだから 完全に固定化したものではないが、音楽に比べるとこういった記号化の 側面が強く発達している。
音楽でも、和声進行のパターンが記号的に使われること等もあるだろうし、 そもそも譜面として記せること自体、記号化の恩恵にあずかっているのだから、 程度問題であり、記号化の度合いがより強いか弱いかの違いでしかない。

何にせよ、記号化の度合いを強められたことに、言葉を生み出すきっかけが あったように思われる。
記憶や記録として残しておくにはクラスタの数を絞るのが有利であるし、 伝達内容をより精確にすることが可能になる。

こういった記号化度合いの面から考えると、やはり音楽が言葉に 先行するのが自然だと考えられる。

さて、知覚の共有という点では、聴覚情報に意味付けや理由付けをしていくという ことにしか触れなかったが、視覚や触覚もまた音楽や言葉の要素たり得る。
味覚や嗅覚も多分そうだろう。
そういった各種の知覚情報に付けた意味や理由をリンクさせるというのが、 現時点でのロボットには不足しているように思う。

アヒルのように歩き、アヒルのように鳴くだけでは、アヒルの映像をみたときにしか アヒルだと推定できない。そのとき得られるすべての知覚情報が、これまでに 付けられた意味や理由と一致することで、アヒルをアヒルだと思えるのだ。
ここで、すべての一致をみてもまだアヒルではないのではないかと疑うことも できるが、それにどんな意味があるだろうか。
それは、上記のように判断できるロボットができたときに、それが意識を獲得したと 思うかどうかにも通ずる話だ。

意識とは、そこにあるものというよりも、そこにみるものに近いと思う。