フラジャイル


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松岡正剛「フラジャイル」を読んだ。

ある特定の秩序を維持しようとする力が「強さ」だとすれば、「弱さ」とは何だろうか。その「強さ」の判断基準によって、良し悪しの悪しの方に選別されたものとする、「強さ」の補集合としての「弱さ」というのは、あまりに消極的であり、それは結局のところ、「強さ」への着目でしかない。あるいは、その「強さ」のつくる秩序を変えようとする、「強さ」からの逸脱としての「弱さ」は、それが行き過ぎれば、また別の「強さ」になってしまう気がする。

「弱さ」はむしろ、ある秩序が移り変わるか否かの瀬戸際、ホメオスタシスとトランジスタシスの「強さ」と「強さ」の葛藤の場である境目、二つの光がまじりあうtwi-light、「同」に収束しない「類」という近傍、生命のように刹那的なEdge of Chaosのことを言うのだろう。

「強さ」への憧れは、秩序が固定化する傾向、すなわち善性の発露である。ひたすらに固定化して壊死してしまいかねない善の光に照らされてできる影としての「弱さ」ではなく、葛藤の中で善という光になりそこねたラディカル・ウィルとしての「弱さ」。その「弱さ」があってこそ、「生きる」という秩序更新プロセスは継続するのである。

完結しておらず、完全でもなく、全体でもなく、何らかの「弱さ」をもちつづけることで、秩序の変化幅をなるべく減らさないでいる、感じやすいままでいるというのが、弱体化やネオテニーという人間なりの戦略だろうか。