エコラリアス
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ダニエル・ヘラー=ローゼン「エコラリアス」
                    を読んだ。
記憶することによって秩序が形成され、
                    忘却することによって秩序が解体される。
                    そのような記憶と忘却の連鎖の中で更新される
                    秩序が言語を支えているのは確かであるが、
                    意識されない記憶や忘却というものもまた、
                    言語を支えるものとして存在する。
                    いや、意識されないものであるからには、
                    それを記憶と忘却に区別することはできないし、
                    「存在する」と言うこともできないだろう。
                    そもそも、意識されるものと意識されないもの
                    という区別すら、意識による理由付けによって
                    生み出されるものだ。
そういう全体をひっくるめた、{意識|無意識}に
                    よる{記憶|忘却}の過程のことを、著者は谺Echo
                    と呼んでいるのだと思う。
残響する谺は、記憶することであると同時に
                    忘却することでもある流れをなしている。
                    そのことを「記憶の大部分は忘却によって作り
                    上げられている」とボルヘスは語っていた。
                    その流れの所々を記憶と忘却のどちらか一方に
                    決めることで、言語といううたかたを見出して
                    しまいたくなるのは、判断機構である意識の性
                    なのだろう。
千の詩句を暗唱した後に忘却するという試練を
                    乗り越えたアブ−・ヌワースのように、「層」、
                    「言語の死」、「原初の言語」といったものを
                    谺の中から抽象できる一方で、そこに拘泥せずに
                    いられてこそ、凡才は天才になれる。
天才の空っぽさをもってしてもなお、谺の中に、
                    ベンヤミンが「忘れえぬもの」と呼んだ秩序が
                    響いているのであれば、それは人間の物理的身体
                    のセンサ特性を反映したものになっているのだと
                    思われる。