宇宙際Teichmüller理論
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宇宙際Teichmüller理論を使ったABC予想に関する論文が
                    査読を通ったというニュースを見て、星裕一郎「宇宙際
                    Teichmüller理論入門」を読んでみた。
相当噛み砕かれたていねいな解説を読んで連想したのは、
                    異なる世界観間での意思疎通についてだ。
東洋哲学と西洋哲学、仏教とキリスト教、父権制と母権制、
                    日本神話とギリシャ神話、日本語と英語、理系と文系、
                    あるいは自分と他人。
                    それぞれがもっている判断基準(環構造)が必ずしも完全には
                    一致しない場合には、コミュニケーション(リンク)の際に、
                    解釈、翻案、翻訳、言語化といった、不定性の導入による
                    剛性低下が生じることになるが、翻訳や言語化(不定性の管理)が
                    適切であれば、エタール的部分(シニフィアン?、象徴界?)の
                    間の関連付けのみからFrobenius的部分(シニフィエ?、現実界?)
                    の間の関連付けを導くことができる。
つまり、他人がどのような情報を受け取って、それをどのように
                    抽象しているのかを知ることができなくても、「so-ra-ga-a-o-i-ne」
                    という聴覚情報を介して、ちょっとした誤差の範囲内で、空の青さを
                    見ている感じを伝えることができる、というような。
                    いわゆるクオリアというのは、エタール的部分として符号化する
                    ことができないFrobenius的部分を、あえてエタール的部分である
                    かのように表現したものだと言えるだろうか。
                    人間がみな同じようなクオリアを共有しているという仮定は、
                    エタール的出力とFrobenius的対象の間のKummer同型に通ずる
                    ものがある。
復元が上手くいくあたりが面白いと思うのだが、細かいところは
                    あまり理解できていない。
                    「数でなく関数の特殊値として扱う」とか「Hodge劇場」の
                    あたりは充足理由律と関係があるだろうか。
                    あるいは充足理由律が多輻的アルゴリズムに相当するのだろうか。
全く的外れなことを書いている可能性も高いが、どうだろう。
                    望月新一氏、星裕一郎氏、数学者、一般人というのもまた、
                    異なる世界観をもつ人間同士であるから、宇宙際Teichmüller理論
                    の「理解」を共有できるかということ自体が、この理論の対象に
                    なっているようにも思う。