何かであるということ
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あるものが何かであるということは、ある基準に照らして
あるものを抽象したときに、是となるかということだ。
無相の情報が抽象される際に、その情報と同一性の基準の
両方が関係する一連の抽象過程の中で性質が見出される
のであって、無相の情報が単独で性質をもつことはない。
波長約700nmの電磁波が単独で赤という性質をもつことは
なく、目という光学センサがその波長を含む電磁波を抽象
する際に赤という性質が現れる。
「波長約700nmの電磁波は赤い」という言明が成立するのは、
人間とそれ以外を主体と客体に分けるという発想の下で、
主体の側のあらゆる存在が人間の目と同じような特性の
電磁波用センサを有することを、暗黙のうちに前提した
場合である。
同じように、ある存在が単独で人間であることはない。
その存在を人間とみる抽象過程が存在して初めて、
その存在は人間であるということになる。
人間がお互いを人間として抽象しながら、自分自身を
再帰的に人間として抽象することで、「人間」という
カテゴリが成立する。
受精卵は、胎児は、自我が芽生える前の幼児は、植物状態は、
脳死状態は、人工知能は、果たして「人間」だろうか。
こういった問いは、主体として確保したとみなしている領域の
変更を必然的に迫るからこそ、センシティヴなのだろう。
奴隷や黒人が人間として抽象されないことが主流な時代があり、
今でも、多かれ少なかれ、自分とは異なるようにみえる存在を
自らと同じカテゴリに入れようとしない傾向はある。
その傾向は消えることなく、同一性の基準の更新はせめぎ合い
ながら緩やかに進行していくと考えられる。