旅先の感覚


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広島、タイと旅が続いた。

広島は建築に携わってから初めて訪れた。
原爆ドームの前に立つと、むき出しになった鉄筋や 鉄骨部材による補強といったディテールを、専門家 として部分化しながら見てしまう一方で、元安川の 眺めやかすかな磯の香り、広電の走る音、観光客の 賑わい、まだ夏らしい木漏れ日といった多くの感覚を 一つの全体として感じながら、高二のときに歌った 「祈りの虹」を思い出す。

タイでもやはり、空港や工場、マーケットに行くと 架構やディテールが気になってしまうのだが、最初に 外に出たときの日本とは少し違う暑さ、鉄が削れた 匂い、いろいろな食べ物の香り、スパイスの辛さ、 仏像に金箔を貼ったときの触り心地、ヨットの上で 感じる風と海の暖かさ、象に乗って揺られる感じ、 新旧の友人との会話、マッサージの気持ちよさ、 あらゆる感覚を大事にしたいと思いつつ過ごす。
工場で環境に関する取り組みを聞いた翌日、夕暮れの ヨットの上で心地よい風が抜けるのを感じながら、 こういう建築がいいんだと話していたのが印象的だった。

こういった旅先の感覚を、写真や言葉を使って部分化 して圧縮することでしか外部に保存できないのは もどかしいが、そういった外部化はまったく無駄なの ではなく、むしろ内部において再現するためのよすが となるように、再現する当の感覚を得る妨げとならない 範囲で、いろいろな方式で抽象しておくのがよいのだと思う。