人間の経済


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宇沢弘文「人間の経済」を読んだ。

とても思想に富んだ経済論だというのが率直な感想だ。
最近は分野に限らず思想を前面に出さないことが多い ように思う。
こうあるべき、ということを主張しづらいというよりは、 こうではない正義があり得ることを想定しない正義が 受け入れられづらくなってきているということか。

近代において確立された個人という単位は、心身二元論 からの帰結として、物理的身体に制限されない人間像を 想定可能にした。
プロパティの集合として定義された人間によって駆動 されたシミュレーションをなぞるとき、プロパティの 集合として振る舞うことが不可避的に要求される。
宇沢ははっきりとこのことを拒否し、物理的身体に 一致した心理的身体の区分としての人間を重視する。
人間を人間たらしめるハードウェアとして物理的身体 にこだわり、そこは変わらないものとして維持すべし というのが、宇沢の思想のハードウェアとなっている ということだと思う。

基盤としてのハードウェアは、固定化への収束という 危険性をはらむが、それなしで発散することは空中分解 につながるため、ハードウェアのない存在はそうそう 長く維持しないと考えられる。
人間として、あるいは思想として、どこにどのような ハードウェアを想定するか。
それはすなわち、道徳を設定するということだと思う。

そう考えると、道徳というのは、抽象過程の破綻を避ける ための、発散する特性を制御する枠組みだと言える。
An At a NOA 2017-06-10 “技術の道徳化

道徳は、技術とともに常に変化する可変性の殻である。
思想を前面に出さない議論が増えたように感じるのは、 技術による変化が急激になっているからだろうか。
急激に変わりゆく道徳の内容に気を付けていないと、 ユートピア=ディストピアに陥るのは簡単である。