人はなぜ物語を求めるのか
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千野帽子「人はなぜ物語を求めるのか」を読んだ。
自分と似たような意見が書かれた本を読むことに
                    よって得られる知見はそれほど多くない。
                    だが、「寒いね」という言葉に対して「寒いね」と
                    答える会話と同じように、通信可能な状態にあることや、
                    同じ情報を同じかたちで抽象していることを確認する
                    コミュニケーションは心地よさをもたらす。
                    これもまた、著者の言う「感情のホメオスタシス」だろう。
                    そのようなコミュニケーションの究極に、あらゆる
                    領域でコンセンサスがとれた状態としてのエクスタシーが
                    あるのだろうか。
ところどころで、この本の内容自体が物語であることに
                    ついての言及は出てきたが、「なぜ物語を求めるのか」を
                    主題にするのであれば、もっと主題として取り上げても
                    よいのではないかと思ってしまう。
                    そもそも、論旨としては
人間は物語を聞く・読む以上に、ストーリーを自分で 不可避的に合成してしまう。
千野帽子「人はなぜ物語を求めるのか」p.219
ということがメインなので、書名のなぜに対する直接的な
                    答えにはなっていない。
                    だからこそ「物語を求めるという物語」を求めていることに
                    ついての言及がなかったのかもしれない。
意味付けが光エネルギーや空気の振動エネルギーによって
                    概念を形成するのに対し、理由付けは理由をエネルギーにして
                    概念を形成する。
                    いずれも概念を抽象することを目標としていると言えるので、
                    概念を意味と言い換えれば、理由ではなく意味を欲している
                    という主張にも納得がいく。
                    概念という意味を形成しエントロピーを減らし続けるためにも、
                    人間は理由という物語を求め続けなくてはならない。