社会としての忘却
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人間単位での忘却の必要性について以前触れたが、
社会としても忘却がなければ上手く行かないという判断のようだ。
今回の事例で言えば、犯罪歴を調べること自体は以前から可能であったわけだから、
Googleが何か違法行為を行っているわけではなく、情報に辿り着くまでの
速さと手間の少なさが問題視されているわけだ。
社会として、ある程度瑣末なことは、修正した上で破棄していくことで、
システム全体の健全性を保つ。
それは例えば、記憶装置があるデータのあるビットを正しく保持できていなかったために
そのデータが読み込めなくなってしまっても、何らかの対処をした上で
別のデータが上手く書き込めているんであればよしとする。
もうそのエリアは使わない、あるいは常に監視し続ける、といった対処をとることで、
早晩記憶装置としての役割を果たせなくなるのを防ぐために、といった状況に
近いだろうか。
通信速度の速さを競う一方で、こういったアクセスの速度を制限しようというのは
矛盾しているようだが、無矛盾でないからこそ、幅広い問題に対処できるのかもしれない。
人工知能にもそういった仕組みを入れないといけない。
というか、さしあたって直近の状況との整合性を保ちながら、それより以前とは
矛盾していてもしょうがない、という仕組みにすることがAIにとっての忘却になるのかもしれない。
(これもよく理解できていないのだが、ゲーデルの不完全性定理との絡みがあるんだろう)
それにしても、こういった判断をしなければならないほどGoogleに
情報の出し入れを握られてしまっていることには司法は言及しないのだろうか。