言語変化
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30年後の日本語はどの程度変わっているだろうか。
Wikipediaの「を」の項を参照すると、
奈良時代には「お」と「を」で音韻にも明確な区別があったものが、
平安時代に入り混用が始まるとある。
詳しくは当該項目に譲るが、発音自体はどちらも「wo」だったり
どちらも「o」だったりと時代によっていろいろで、
戦後に現代仮名遣いに移行した際に、「お・を」もほとんどが統一されたが、
助詞の「は」「へ」「を」については使用頻度の高さのため残されたようだ。
「こんにちは」を「こんにちわ」と書くのと同じように、
「東京から青森えの最終列車わたくさんの乗客お乗せて出発した」
のように変化していくだろうか。
現代人からみると「てにをは」の類はパッと見た時の目印になるため、
それが「てにおわ」になってしまうと読みづらくてしょうがないが、
これは現代仮名遣いに変わった時も同様だったはずなので
慣れの問題でどうにでもなるだろう。
しかし日本語の自然言語処理がますます難しくなる。
その前に英語のように空白で単語あるいは文節を区切るような文化が
浸透しない限りは置き換えは難しいだろう。
発音の点では、「wo」が「o」になったのと同じく、「wa」が「a」になることで
「わ」行が消え去るという可能性はないだろうか。
「わたしはね」→「あたしゃね」のように、一度口をすぼめる必要がある「wa」の
音では「w」が落ちやすい。
「すみません」が「すいません」の変化も「m」の子音を経由するという
手間の省略だから構造としては同じだろう。
イ音便、促音便、撥音便等も発音のしやすさからの変化だが、
「歩きて」→「歩いて」→「歩うて(歩ーて)」
「酔ひて」→「酔って」→「酔おて(酔ーて)」
「進みて」→「進んで」→「進うて(進ーて)」
のように、さらに簡略化される可能性もあるだろう(関西弁に近い)。
どんどん口元が緩くても済むように発音が変化していっているんだろうか。
そう考えると、どちらかというと聞き手側よりは話し手側の利便性によって
言語表記が変化していくのかもしれない。
だとすれば、発声機構が機械化されると言語の変化の仕方もまた変化するだろう。
口を動かす代わりにタイピングをするんであれば打鍵の手間に応じて
言語は変化するだろうし、信号のようなものを直接生成するのであれば、
信号の波の形状によって脱落する子音や統合される母音が出てくるのかもしれない。
まあ、30歳年上の人と対して違う言語をしゃべってはいないし、
30年では身体の機械化が進むとも思わないので、そこまでの変化はないだろうし、
寿命が延びるに従って話者の入れ替わりが緩慢になるため、
変化のスパンはどんどん長くなっていく。
150年くらい先の日本語は聞いてみたい。