映画<harmony/>
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<harmony/>の映画を観てきた。
かなり原作を忠実に再現していて、
観てよかったと思える映画だった。
トァンの声を聴いていて攻殻機動隊っぽいなと
思っていたけど、あちらはcv坂本真綾、こちらは
cv沢城みゆきだった。似ている。
強いて一点だけ注文をつけるとしたら、
etmlで記述されている感じをアニメーションで
表現できたら、どんなものになったかを
観てみたかったとも思う。
あるいはそれは現代の人間にとっては、
ベタな展開で喜怒哀楽を想起させることこそが
etmlの文法で、「etml1.2に準拠したエモーション
テクスチャ群」は意識の中にプリインストール
されているのかもしれないが。
原作を読んだ身からしても、
結構サクサク展開していくなーと感じたので、
映画が初見だと、ところどころついていけないかもしれない。
そもそも提示されている問題も結構複雑なので、
映画が面白いと思った方々には是非原作を
読んでみてもらいたい。
「意識と脳」というスタニスラス・ドゥアンヌの本を
読んでいるが、この本に出てくる実験の話や
それに関する著者の見解を読んでいると、
伊藤計劃が<harmony/>で描いていた意識像、
・いろいろな欲求が会議をしている状態
・肉体のために意識を実装する必要があった
というのも、結構的を射ているように思う。
こういうことを考えると、認知症や精神病は果たして
異常な状態なんだろうかと思えてくる。
意識があって「わたし」なんてものがいると信じている方が
よっぽど異常な状態なのかもしれない。
「正常」あるいは「正しい」という基準自体がそもそも
好みの問題であるから、意識をもっている人間が大多数であり、
意識をもっているのが人間に限られている間はそちらが
「正常」なのであろう。
伊藤計劃が糖尿病の例を挙げているが如く、
自意識なんてものを発症した人間が病人扱いされる未来も
あり得るのかもしれない。
いつか、<harmony/>や「彼女は一人で歩くのか?」のような
世界がきたとき、「わたし」が消え去る瞬間に立ち会えるとしたら、
どれだけ幸せだろうか。
思えば、建築に限らず言語学、論理学、医学、数学、その他諸々の
本を読んで、自分とは何だろうかと考えるようになったのも、
伊藤計劃の虐殺器官と<harmony/>を読んでからである。
いつか、私が何者であるか、納得したい。わたしよ。