彼女は一人で歩くのか?
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新レーベル「講談社タイガ」から出た森博嗣の新刊
「彼女は一人で歩くのか?」を読み終えた。
時代は二世紀ほど未来、
ウォーカロンと呼ばれる人工生命体が普及し、
人間が簡単には死ななくなった世界の話である。
最近、にわかに人工知能関連の情報が一般に広がりつつあり、
ニュースや本の量はこの一年で急増した感があるが、
そこで目や耳にする情報よりも二段階くらい先の世界を
想定しているように思われる。
人工細胞の生成技術が発展し、人工知能はもはや現在の
コンピュータの延長とは思えないほど生命体に近づいている一方で、
人間そのものに対しても人工細胞による治療が取り入れられ、
こちらはこちらでもはや現代の意味での生命体とは一線を
画している。
双方から歩み寄った結果として提示される哲学的な問題の数は、
おそらく今後衰退の一途をたどる宗教の力を
再び取り戻させるのに十分だろう。
ハギリの研究テーマである、人間とウォーカロンの識別方法。
それはウォーカロンを区別し、人間が人間であり続けたいという
自己防衛手段であると同時に、如何にしてウォーカロンと
人間が同化していけるかを探るための兵器にもなる。
果たして人間は優秀な道具を求めているのか、
自己の再生産を目指しているのか。
ウォーカロンに生殖機能がないことと、人間の生殖機能が
衰退しつつあることの類似性に関する提起も面白い。
死を受け入れることで次の生が得られるという発想は、
「スカイ・クロラ」シリーズに通ずるものがある気がした。
英題は"Does She Walk Alone?"。
ウォーカロンには"walk-alone"という英訳が当てられているので、
これは同時に"Is She a Walk-alone?"でもあると思う。
この"She"も、ウグイでありマナミでありミチルであり、
もちろんミチルの保護者でもありうる。
いや、彼女Sheとあるから女性に限定して列挙したが、
本来はハギリも含めて登場人物全員であると思うし、
もしかしたら読者自身でもあるのかもしれない。
このネットが見せるものは、本当に現実の世界なのだろうか。
正しい情報だろうか。
疑えば、どこまでも疑わしい。
森博嗣「彼女は一人で歩くのか?」p.200
〈熊の生態〉に現れたあの文章。
「黒い魔法」とは暗闇。
「白い魔法」とはウェディングドレス。
「赤い魔法」とはレッドマジック。
「すべてがFになる」とどのくらい関係があるのかはわからないが、
そんなことを妄想してしまった。
そういえば「すべてがFになる」の中で、犀川先生は「赤」が象徴するものを
いくつか挙げたが、その中に「夏」がなかった。
今は夏。彼女はそれを思い出す。
夏にかけられた魔法だったからレッドマジックだったのだろうか。
その魔法は二世紀経っても未だ有効であり、
人類は限りなく延ばされた一瞬の中で、
それに対する答えを探り始めている。